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アーティフィシャルチャイルド

調子が悪くなると呟き系SNSのタイムラインを追う時間が増える。
たくさんの文字、情報がスマホの画面から目を通して頭に流れ込んでいく。
のめり込み、溺れていく私。
気になった文章以外は読み飛ばすものの、やはり視界には入る。
情報は分別して取り入れていると思い込んでいながらも、実際は大量の余分なガラクタのような情報が多い。
私はいつもそんな情報に惑わされ、自分を見失っていく。

11月ってこんなに寒かったっけ。
私は石油ストーブの前から動けずにいる。
温風が肌に当たり、カサカサしだす。こんなときこそスマホを遠くへ置いてデジタル抜きの休憩をすればいいのに、なんて思うけど直ぐにまたストーブの前に戻ってくるから諦めている。
二酸化炭素で頭がぼんやりし、判断能力は低下してひたすらSNSをチェックする。
やめたい。それがやめられない。

私はいつの頃まで私であったんだろう。私という存在があったんだろう。
言語化をするようになってから、言葉を文字を使い表現するのがもっと楽しくなった。

「これが私の本音なんだ!」

こんな私でも本音が書けるんだ、なんて感動を覚えてはひたすらノートに書き続けた。
でも昨日私はあることを疑ったのだ。

「私の本音を書いているのは、果たして私なんだろうか」

私は言葉で創られていると思っていた。
小さな頃から文章を書くのが大好きなちょっと変わった子。
でも私は意志や軸があるのか考えてみても、無いと正直思う。
心の底から感情が湧き出る様を感じた経験が思い出せない。
こだわり続ける考えというのもない。
私の、私かどうかも分からない思考だけが頭の中に回り、ノートに文字となって吐き出される。
この文章や文字は私が心の底からそう思って書いたものなのだろうか?
嘘や偽善や言い訳で取り繕ってないだろうか?
「違う!」と叫ぶ自信もない。
私はまるで言葉を覚えた人形だ。
身体は大人の、感覚は10代の思春期のままの、言葉に操られた人形。
放り出されたのは大きな途方もない虚無。

どうして私は生まれた、いや、創られたのだろう。
どうして私は生きているのだろう。
人に聞いてもわからない。
自分に問うても答えが出ない。

人が私から離れていく。
私も自分を信じられなくなる。

あぁ、とうとう狂ったか。
操り人形のもつれた糸。
もつれた糸を人形は決して直せない。
私を操るたくさんの糸。
言葉で作られた糸。
こんな自分を変えようと新しい糸を求める。
増えていくのは糸、糸、糸。
そのうち糸が絡まって私は動けなくなるだろう。
解いて直してくれる人などいないだろう。
糸が増えても私は人になれない。
人を真似することはできても、完全な人にはなれない。

自分の中にもう一つ世界を持っている。
今まで読んだ物語をもとに創られた世界。
現実では見たことのない景色を、私はこの世界で見ることができる。
その世界は鮮やかな色彩で楽しいけど現実ではない。
現実でないとわかってはいるけど、現実の世界よりも私の居場所に相応しいんじゃないかしら。
いよいよ私は現実を、果たして今生きている世界なのかと疑う。

私は……どうして人の形に生まれたんだろう。


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