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だし文化 GOGO

いちばん好きな食べ物は何かと思えば、みそ汁かもしれない。

NNNドキュメント「半透明のわたし」をみた。

様々な要因で生活が困難で、生活保護を受けている家庭の子供は大学に行くことを認められていないという。知らなかった。

番組に出演して自分の言葉で語っていた大学生の女性は、そのルールによって大学進学が困難になり、家を出て自分で働き、学費も生活費も払うという「保護」のルールの外にでて大学へ進学することを選んだ。しかし日本の大学の学費は未だに高額で、生活費と学費を自分で支払っていくことは大変なことだった。女性が切り詰めていけるのは食費だけであり、身体を壊してしまった。

こんなことがあっていいのだろうか、よくないに決まっている。
学びたい、という意欲をこうした限定的なルールによってへし折り、貧困という呪いのようなループから抜け出すことはより困難になっていく。

生活保護という言葉だけが一人歩きしているけれど、人々の生活を「保護」することは、決してその人々だけを守っているのではないと思う。
貧困であっても学べる、学び直せるという機会を国が、街が支えていくことによって、その学んだ人々の知性や教養がその街を、国を守っていくことになるのだから。

スウェーデンのあるエピソードを思い出す。
ヨーロッパでは大学の学費が日本に比べてかなり安かったり、あるいは無料である国もあるが、それはそれぞれの国の未来への投資でもあるということである。スウェーデンのある研究機関で働いていた40代の女性は、退職して大学の医学部に入り直し、医師を目指した。

こう聞くと、とんでもない決断に聞こえてくるが、そうした選択をさせうる社会があるということに驚いた。そうして学び直した女性は医師になった。その数年後、世界は未曾有のコロナパンデミックに突入した。この一大事において、学び直したその女性は大いに有益であるし、また他の専門領域を持ちながら医師となったその人材の貴重さは計り知れない。平時にはイメージできなくとも、こうした人々の選択肢を制限しない、学び直しを支える姿勢が、社会全体に効いてくるということ。あとあと効いてくる。これは一例であるがとても示唆的なエピソードだと思う。もちろん、スウェーデンはそのために税金が高いよ、とかもありますけど。

思えば、かつての知的巨人たちは広い領域の分野を横断的に俯瞰的に動くことで、普遍的な知を残してきた。ある選択肢に制限し、機会を奪っていく社会の未来は少し窮屈だし、なにか有事が発生したときに弱いのかもしれない。

いま、2024年の日本で、新たな関心をもって、「学びたい!」と湧き上がった想いを持つ人が選べる選択はどれほどあるだろうか。または番組に出演していた女性のように、貧困のループから脱するには学ばなければならないという希望を持った人を支える制度はどれほどあるだろうか。

日本はご飯も美味しいし、山や海も美しい。とんでもない文学作品や美術もたくさんある。レガシーを活かし、皆が生きやすい希望のある国になる可能性はまだまだある。希望のある世界になってほしい。

3ヶ月くらいヨーロッパにいて、日本に帰ってきて、空港のコンビニでおでんを買って食べたときの感動は忘れられない。
思えば出汁、ダシというのは様々な素材を長い時間かけて育てることによって生まれる奇跡的スープだ。だしの国、日本。醤油。最高だ。
短期的に判断するでなく、だしのように長い目でゆっくり漬け込んで旨味をはじけさせる国なのだから、そこに生きる人々、そこにやってきた人々を優しく包んでいけるような国になってほしい。   VIVA だし文化

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