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フィジカルな対話 焚き木

とある教育的なコンテンツに接して、ハタと膝を叩いて沁みいる。

歌や音楽は目と目を合わせなくても、そこにいる多くの人が心を近くすることができる。同じ場にいるだけでいい。だからこそ歌や音楽は人類の原初の段階から生活と共にあった。

歌の原初は子守唄であり、そこから大人のための狩りなど、困難を乗り越えるためのブースターとして機能してきた。ブースターといえば現代でも戦争と音楽は距離が近く、例えば軍歌による高揚感、そして出撃の時にかかる興奮剤として多用されてきた。国際試合で流される国家や甲子園で流れる校歌などもまた、その国家意識や共同体意識を高め、「私」は「我々」になる。

それと同時に反戦の運動にも音楽は響いた。

歌があったから人類はアフリカ大陸を出ることができたという。歌による共感力の向上による一体感「私たち」という輪郭を音と共に見出してきた。確かに旅人はよく歌を歌う。歌いながら歩く。

少し経つと、歌によるコミュニケーションから言葉の発生によるコミュニケーションへ移行した。言葉によるイメージの共有の時代が幕を開けた。それ以降、言葉は人類を団結させたり分断させたり、殺し合ったりさせてきた。

言葉によって、過去のことを物語として語り継ぐことができるようになり、歴史という大きなイメージが生活に染み渡る。

「あっち」は「敵」だ。
「そっち」はかつて「味方」だった。とか

フィジカルな共同体の上限は150人ほどだというが、同じ言語を使うという一体化によって、その上限は一気に拡大した。

しかし言葉は情報、イメージを伝達し共有するために有効であると同時に危険すぎた。本当は敵ではないグループを敵としてイメージを重ねることができるようになった。そもそも「敵」という言葉そのものがはらむイメージは強烈だし、また「仲間」とか「家族」という言葉もとても強い。

言葉の有効性は農耕や牧畜といった、定住のリズムから加速した。定住というのは他との競争につながる。集団の内と外が明確になった。

いい土地の確保、食糧の確保のための戦争や争いに、言葉はもってこいだった。言葉だけが一人歩きし、言葉というソフトな武器は人類に浸透しすぎてきた。

しかし重要なのは、対面、身体的なコミュニケーションである。共食、一緒に音楽を奏でる、踊る、そうした身体的なコミュニケーションを取り戻さなければならない。

確かに… と思う。
現代では、ほとんど祭りのような時間でしかフィジカルなコミュニケーションをとることはできない。17時にチャイムが鳴る街は多いが、チャイムがなったら一旦おどる、とかどうだろう。

焚き木を共に囲む。ご飯を一緒に食べる。一緒につちをいじくる。同じ言語を持っていなくとも、こうした時間を共有することはできる。無理にでもこうした時間を持つことに向けてジリジリと歩みたい。

何百キロ、何千キロと離れた国の首脳たちが「戦争だ」「侵攻だ」「攻撃を許可する」と発語しただけで、近所のお隣さんだった人々が殺し合わなくてはならない時代だ。

まず焚き木を囲んでみませんか、というところからはじめてはどうでしょうか、と。こうしたやりとりからでないと、一気に数万と数万の対立になってしまう。

まずそれぞれの好きな食べ物を持ち寄って、ご飯たべましょう。わたしなら、おにぎりと味噌汁を持っていきます。そこからはじめたい

しかしこれも言葉、音楽ではないですけども。

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