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【まとめ】 Last day to Japan ~ひとり旅を終えて~

こんにちは。森田です。

まずは、最後まで読んでくれた方、ありがとうございます。
またこれだけ読んでくれる方も、嬉しいです!

今日は、今回のひとり旅の総まとめをしていきたいと思います。

今回のnoteまとめ

day8だけすっ飛ばしてたのに気付かず、厳密には無念の毎日更新ならず、、、でしたがたくさん日記を書くことで、後にもしっかり残る旅にできたかなと思います。

以下のマガジン形式でまとめているので、もし気になる記事あれば読んでみてください。

【noteのバックナンバー】
day0:旅の極意について
day1:世界の信仰について
day2:200ユーロぼったくられたレポート
day3:ひとり旅における自己決定の幸福感について
day4:旅人という「究極の消費者」の話
day5:旅を通じた日常と非日常に関する考察
day6:「編集者」というあり方に憧れる話
day7:「場合分け」って無力だなと思った話
day8:まさかの書き忘れ、、、
day9:暇と教養の必要性について
day10:好きだからといってプロにはならなくていいよねっていう話
day11:予定調和より予定の現地調達をオススメする話

また、instagramに写真は随時アップしていっているのでぜひ覗いてみてください。

「独り」ではない「ひとり」旅

当初想定していたよりも、ひとり旅っぽくないひとり旅でした。
なんなら毎日日本語喋ってましたね。喋ってない日がない。

たくさんの人に会いました。

【会った人リスト】
・日系通信社のトルコ支社で働く日本語ペラペラ現地大学生
・トルコの東大、ボアジジ大学に留学している学生たちと日本語学科の生徒たち
・偶然部屋が同じになり業界も似ていた慶應の院生
・ブルガリアで唯一見かけた日本人、同志社の2年生
・セルビア在住、セルビア人ハーフとロシア人ハーフの関西人たち(最もキャラ濃かった)
・セルビアの公園でナンパした立命館の院生(男)
・金沢での修行の末、セルビアでカツサンドを広める公邸料理人
・周辺4か国に留学中、老後は欧州暮らしを夢見るサークルの後輩たち
・お互いの実家徒歩3分に住みながらサシ飯には行ったことなかった友達
・昼からビール飲みすぎてwifiとカメラ水没させ10万失った直後の内定先同期

最高すぎる出会いの連続でした。ずっと笑顔でいられたし。
会ってくれた人、改めてありがとうございました!

ただまあ、もちろんひとりでいる時間も少なくはありませんでした。
移動時間とか、食事とか、寝る時とか。

そんな時には、たくさんの人が思い浮かびました。
目の前の景色がどんなに美しいかを伝えたり、美味しいお酒をシェアしたりしたくて。

SNSとかLINEとか、オンラインでも繋がってた旅だけど、ひとりになることで、更に人とのつながりを実感することができたように思います。

ただ今回のこの感覚、見方を変えてみると。

極論、人間みんなひとりなんだと思います。
いつも誰かしらと一緒にいて、気が紛れているだけで。

寂しい時ってどんな時かを考えてみると分かり易いかなと。
寂しいのは、周りにたくさんの人や集団がいて、「ひとりであることに気づく」時だったりします。
逆に、みんなが「ひとり」ならさみしくない。電車の中とかね。

そして、「ひとり」であることと、「独り」であることは違います。

「ひとり」の時間ほど、誰かのことを考えたり、誰かのために何かをすることについて考えたりすることができます。
「独り」とは、自分のこと以外が頭に浮かばなくなる時のこと。滅多にあるものじゃないですよね。

だからこそ、例えばこうしてひとり旅に出るとか、「ひとりの時間」をいかに確保するかがこの社会においてはとっても大事なことだと思います。

ずっと一人でいる必要はない。
けど寝る時間、移動する時間、などどこかで自分をひとりにしてあげないと、しっかり思考を練る時間なども取れないはず。

「独り」じゃないとわかっているなら、ほんのすこしの勇気を出して「ひとり」の時間を確保することで、また一歩前に進めるような気がしました。

「旅の本質は移動」じゃなかった

この旅を計画した時のテーマは、「旅の本質は移動なのではないか?」という仮説検証でした。

結論から言えば、「やっぱなんかしっくりこなかった」というのが正直なところです。

少しこのテーマに関しての哲学にお付合い頂けると幸いです。

■まず旅とは何か

旅とは、「非日常と日常の間の世界を生きること」だと思います。

完全な非日常ではない。

常に友達とラインはしてる。現地で友達とも会える。お酒も飲む。ウオッカで潰れられる。

でも確実に、それは日常ではない。

毎日寝床が変わる。周りにいる人は姿形からして違う。
時には、この地球を五感で感じられるような絶景を目にする。

その狭間の中で、自分がまだまだこの世界を知らないことを知り、好奇心を育むこと。

これこそが旅の価値な気がします。

■「移動」に関して

たぶん、移動やその時間そのものが大事な訳ではありません。

※day7のnoteで詳しくは触れています。

移動をしたことによって、元いた場所を離れたことを知ること。逆算的に、元の「現在地」を認識すること。

この「現在地」の認識、が移動の意味かなと思います。

ただ今回の旅で思ったのは、「現在地」を知るためには、もう1つ、観察という手段があるということ。

街並み、国ごとの文字の特徴、宗教的建築物の比率、人の表情や仕草、など色々。
そこはどんな場所で、どんな特徴があって、どんな文脈が流れているのか。

最後にチェコで会った同期とビールを呑み交わしながら、互いのそこまでの旅路で目にしたものについて語らいましたが、僕が自分の内面に関する(小難しい)気づきばかりなのに対して、同期は風景や言語に対して繊細に観察をしていたのが感じられました。

どんな小さなことからも、学ぶことや気付くことはできるなと。

だから結論、移動は旅の1つの要素に過ぎないのかもしれません。

でもよかった、まだまだ旅の本質は分からなそうで。追求できそう。
このモヤモヤは、社会人になってもたくさん旅する原動力になるはずです。

この世界の「不可逆性」を感じた旅

さて、最後は今回が結局どんな旅だったかという話。

今回強く思ったのは、「ああ、前の状態には戻れないな」ということ。
世界ってほんと、不可逆性に支配されているなと。

auの世界データ定額が最強すぎてずっと電波繋がってたし、前の国がどんなに良くても引き返せないし、ぼったくられた200ユーロは戻ってこないし。

いやめっちゃ当たり前なんですよ?
今更何言ってんだって思いますよ自分でも。

でも本当にそう思うんです。ああ、戻れないって。

僕が訪れた街も多分そうで。
きっと10年前には建っていなかった建物があったり、逆に10年前には使われていたであろう現廃墟もあるし、姿はあった建物もあるはず。

30年後にまた来たいな、それまで同じ街並みであってほしいな、なんて思ったりもしましたけど、ここまでのエゴもないだろうし、多分無理なお願いなんでしょうね。

ただ、これを最後に体感できたおかげで、なんか諦めがつきました。
前に進むための諦め。

世界の変化は不可逆的で、改善もあれば改悪もある。
でもそれはきっと誰かにとっての解釈の結果でしかないはずで。

その変化が良くても悪くても、楽しめればいいんですね多分。
今回の旅では、それができたわけだし。

旅するように生きる、今後の人生のテーマです。

ではまた、旅する時まで!


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