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ジョン・カサヴェテス~30年ぶりの邂逅

先日、契約しているサブスクでジョン・カサヴェテス監督の作品が配信されているのを発見し、30年ぶりくらいに鑑賞した。
20~30代の映画漬けだった頃に出会った、インディペンデント映画の父と呼ばれるギリシャ系アメリカ人のジョン・カサヴェテスの作品は、ハリウッドとは一線を画し、あくまでもインディペンデントにこだわり、自身が俳優業で得たギャラ(「ローズマリーの赤ちゃん」では夫役)、自宅も抵当に入れ、撮影場所も資金がないので自宅を使うという、まさに手弁当で制作されていた。

今回の記事は、一挙に4作品の感想メモとなっているため4536字と長文です。
お時間のある時にお読みいただければと思います。




「アメリカの影」1959年

ニューヨークで生きる三兄弟を描いた物語は、カサヴェテス30歳の時のデビュー作。
どう見ても黒人の長兄ヒューは売れないジャズ歌手、白人と黒人のミックスに見える次兄ベニー(J-P・ベルモンド似)は自称ジャズトランペッター、白人にしか見えない妹レリア。三人は兄弟なのに全く似てないし、人種まで違うように見えるなんてことあるんだ…と当時は驚いた。
妹のレリアは初めて付き合った白人のボーイフレンド・トニーと上手くいかない。家までレリアを送った際に黒い肌の兄と会い動揺するトニー。これは人種問題だ!と怒り、妹に手を出すな!とトニーを追い帰すヒュー。
とにかく登場人物たちは感情的で、すぐに怒鳴り合い胸ぐらを掴み合う(苦笑)人物の顔にアップで迫るカメラも感情的で近過ぎる。
俳優たちの自由な演技や動きに合わせカメラを回し、この作品は即興で作り上げたとエンドロールでわざわざテロップが流れるのを見ると、当時としては画期的だったのだろう。劇中に流れるチャールズ・ミンガスの即興演奏や、ザラついたようなモノクロフィルムもクール。
タイムズスクエア界隈を日夜ぶらつき、のべつまくなしタバコを吸い酒を飲み、ナンパして喧嘩する刹那的な若者達を捉えた情景はリアルだけど、私が歳を取ったせいなのか、残念ながら初めて観た時ほどの新鮮味はなかった。逆に初期以降の夫婦や家族を描いた他の作品の方が衝撃的だった。
だけど同時期に撮影されたゴダールの「勝手にしやがれ」は、今だに新鮮に思えるので歳のせいばかりでもないような。
ジム・ジャームッシュは「パーマネント・バケーション」「コーヒー&シガレッツ」などの初期作品では、かなりカサヴェテスの影響を受けていることが伺える作品。


「フェイシズ」1968年

倦怠期というのだろうか、14年連れ添ったが冷めてしまった中年夫婦の36時間を描いた作品。
リチャード(ジョン・マーレイ)は友人と高級娼婦ジェニー(ジーナ・ローランズ)の家で悪ふざけたした後に帰宅し、妻と軽口を叩きながら手料理を食べる。一見仲睦まじく見える二人だが、ベッドに入った途端、互いに背中を向け合い眠りにつく。
翌朝夫は唐突に妻へ離婚を切り出し、昨夜訪れたジェニーの元へ行ってしまう。
残された妻は呆然とし、女友達と訪れたディスコで知り合った若い男(シーモア・カッセル)を家に連れ帰り一夜を共にしてしまい、翌朝大量の睡眠薬を飲む。

さっきまで楽しそうに話していたと思ったら、次の瞬間には一触即発になったり、登場人物の目まぐるしい感情の変化をアップで捉えた表情が胸に迫る。アメリカンジョークは全く面白くなく、大声でバカ笑いする場面が延々続くのは苦痛。
若い頃のジーナ・ローランズはマリリン・モンローの再来と言われていたそうだが、娼婦役は納得の妖艶さ。
妻・マリア役のリン・カーリンはそれまで役者の経験はなくロバート・アルトマンの秘書だったが、かなり真に迫った演技でそうは見えない。カサヴェテスは素人をよく起用していたことでも知られている。

日ごろ自分達の周りにはいないイケメンでパリピの若者を前にした中年女達の、はしゃぎっぷりや戸惑いもリアル。
若い男は最初軽そうに見えたが結構まともで、薬を飲んだマリアを必死に介抱するうちに気持ちが傾いてゆく様子や、夫が帰って来ると窓から飛び降り走って逃げるちょっと間抜けな姿も臨場感があった。
リチャードもジェニーと一夜を明かしたのに、妻も浮気をしたと知るとなじり出すのが理解出来ない。しかも自分から離婚を言い出しておいて。
ラスト、階段の上と下でダラダラ煙草をふかすこの夫婦は、結局別れないのかもしれない。


「こわれゆく女」1974年

カサヴェテス作品のほとんどで主人公を演じているのが、妻であり公私ともに良きパートナーであったジーナ・ローランズ。
初めて観たのが「こわれゆく女」だった。
いやぁ今観返しても針のムシロだったわ…(汗)

すでに冒頭から何かがおかしく噛み合ってない妻メイベルと、それを認めたくない夫である土木工事の現場監督ニックを演じるのは、刑事コロンボが当たり役だったピーター・フォーク。
いい妻、いい母親でありたい!メイベルは、どんどん常軌を逸してゆく。
メイベルに成り切り過ぎてるジーナ・ローランズは、もう演技してるとは思えないリアルさで、観ているだけで胸の動悸が早まり、薄ら笑いするしかないレベル。

情緒不安定で、感情のブレーキがぶっ壊れていてアクセル踏みっぱなしのメイベルは、愛情が溢れ過ぎて、子供たちはどこ!今すぐ会いたい!となると、通りをウロつき、道ゆく人に今何時?スクールバスを待ってるのよ!と誰かれ構わず時間を聞いてまわるシーンなんてもうイタ過ぎて、通行人同様に目を背けたくなる。
そんな妻を力づくでどうにかしたくて疲れ果て、何かと言うとすぐに癇癪を起こし、辺り構わず怒鳴り散らし、殴るぞ!と脅したりする粗野なニック。彼だって狂ってるように見える。
メイベルがこんな風になってしまった元凶は、やっぱりニックなんじゃないか?とも思えてしまうわけで。

精神病院から半年ぶりにメイベルが戻ってくる日に、妻と向き合う自信がないのか、自分の同僚やその連れ合いまで60人も狭い家に呼んだ挙句、結局全員に帰ってもらうニックとその母(カサヴェテスの実母が演じている)。終始ピリついた空気が胸にヒリヒリ突き刺ささる居心地の悪さ。
退院した後、自分を抑え大人しくしているメイベルに、どうした!いつも通りにしろよ!と自分から焚き付けておいて、やっぱり治ってないと分かると激怒しメイベルを家中追い回すニック。荒ぶる父から母を庇おうと必死にしがみついてゆく子供たちが不憫で仕方ない…。
まるでドキュメンタリーを観ているかのような家庭の地獄。しかしこの家ではこの状態が日常なわけで…。
これが俺たち夫婦!俺たち家族なんだよ!なんか文句あっか!的な感じで、コミカルなエンドロール曲が流れるラスト。これはもはやコメディなのか?
役者同士の迫真のぶつかり合いと、歪み具合は、一度観たら強烈に爪痕を残す。

主人公メイベルのような生きづらさを抱えている人というのは、昔にくらべて社会的な認知度もかなり上がったと思われるが、今も生きづらいことに変わりはないわけで…。メイベルの制御不能の感情、周りの家族の戸惑い、怒り、混乱が、観る者を直撃する作品。


「オープニングナイト」1977年

演じるとは、役と真剣に向き合い突き詰めてゆく程に、自分の人生と引き換えにする行為なのではないか…その苛烈さが印象的な作品。

主人公・マートル(ジーナ・ローランズ)は有名な舞台女優。もう若くないと感じながらも、初めての老け役は自分にはまだ早過ぎるという思いから、どのように役を掴んだらよいのか分からず葛藤していた。
ある夜の舞台後、いつも通り出待ちする沢山のファンに囲まれる中、マートルの熱狂的ファンらしきナンシーという17歳の少女に出会う。どしゃ降りの雨の中、ナンシーはマートルの乗った車を追いかけ窓越しに何度も「I love you」と繰り返す。その様子にただならぬものを感じたマートルだったが、その直後、ナンシーは対向車に轢かれ即死してしまう。
この事件がきっかけとなり、マートルは徐々に精神のバランスを崩しだし、舞台でも急にセリフを変えるなどの勝手な言動を見せ始め、早朝に電話してきたり夜遅くに家へ押しかけられる共演者・演出家・脚本家は皆困惑する。
仕事のために結婚も子供にも興味はなく要らないという人生を歩んできた、女優一筋のマートル。酒量も増えどんどん自分を追い込んでゆくマートルの姿に、心のザワつきが止まらない…。

「17歳の頃、私は何でも出来たわ。ただ感情の赴くままに行動すればよかった」
死んだナンシーは、躍動感に溢れていた若い頃の自分自身を象徴する者だったのかもしれない。
「セカンド・ウーマン」という演目のタイトルも興味深い。ファースト・ウーマンはナンシーで、老いて変貌するセカンド・ウーマンはマートルなのか、またはその逆なのか。
マートルはやがて白昼夢のようにナンシーの幻覚を見るようになり、心配した年上の女性脚本家がマートルを降霊術師の元に連れてゆくが、ナンシーは自分が作り出した幻と自覚しているためそれを拒否。しかしついには凶暴化したナンシーがマートルに襲いかかってくる。
とにかくカオス状態のマートルを観ていると、その狂気に引きづり込まれてゆく感覚があり、滅茶苦茶な彼女の行動に嫌悪さえ感じながらも目を逸らすことが出来ない。

ラスト、失踪しまともに歩けないほどの泥酔状態で戻って来たマートルは、それでも舞台に立つ。まさに何が起ころうと舞台の幕は開けるShow must be go onの精神は、壮絶な女優魂を見せつける。
もう公演中止にするしかないのか…という舞台裏での演出家や製作者の切迫した焦燥感、実際の舞台に観客を入れて撮ったという劇場の様子も臨場感がある。
今作では唯一カサヴェテスとジーナ・ローランズは"夫婦役"として共演している。ジーナはベルリン映画祭・最優秀女優賞を受賞。

カサヴェテス作品の登場人物はいつも、何かが過剰で、狂気をはらんだ役が多い。そしてカサヴェテス自身も社会からはみ出し孤立したような人や風変わりな人に惹かれ、愛情を持っていたという。
上記の他にもカサヴェテス作品は沢山ある。一番一般的にヒットした1980年作品
「グロリア」は中年女性がマフィアに立ち向かい少年を守るが、のちにリュック・ベッソン監督の「レオン」(こちらはおじさんが少女を守る)にも影響を与えたとされている。

1993年に今は無きシネヴィヴァン六本木などでカサヴェテス作品は一挙ロードショーされたが、それから30年後の今年もレトロスペクティブと題し一挙上映があったらしく、カサヴェテス作品は年月を経ても不滅だ。
以前キネマ旬報社から発行された「カサヴェテス・コレクション」という厚めのパンフレットは、カサヴェテス発言集、永瀬正敏さんの対談、黒澤明監督もエッセイを寄せており、中身がたっぷり詰まった充実の内容。


私も当時は連日映画館に通いつめ全作品観た筈なのだが、今ではそのほとんどのストーリーが忘却の彼方…というのは一体どういうことだろうか…(汗)
自分の記憶力の衰えに呆然とする、だから忘れないためにも今回は感想メモのような形で記事に残すことにした。



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