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転院先の病院

新しい病院での初診、医師は、よく話を聞いてくれている印象だった。

そこで、今までの経緯を話すと、医師から、社会不安障害と、抑鬱状態との診断がくだった。

診断名がついたときはなんだか少しすっきりとしたような気もした気がする。

そして、今までの治療であまり効果が感じられなかったことなどを話し、薬も変更して処方してもらい、さらに、クリニックに常駐のカウンセラーとのカウンセリングも勧められた。

そこで、都内までカウンセリングに行くのも大変だし、こちらのクリニックでカウンセリングを受けることにした。

今思うと、この転院は、自分のうつ状態の改善には良かった気がする。

ここで、一度診断を受け、自分の辛さや状態を話受け止めてもらえたと感じられたこと、心機一転というか、治療効果に疑念を抱いたまま元のクリニックで通院するよりも、新たな場を探して見つけて治療する意思を持ったことは、自分にとってプラスに働いたように思う。

ここでのカウンセラーの先生は、当時の自分と大して歳の変わらない、すらっとした体型の柔和な印象女性のカウンセラーだった。

初対面の印象を正直に言うと、若くて(当時の自分25、6歳の少し上くらいに見えた)可愛らしい人だな、と思った。

正直、異性としてみてしまう、女性としてみてしまって、きちんと話せるかな?と心配だった。

意識してしまって、自分を曝け出すようなことができるかな、と少し戸惑いと心配があった。

実際、とても傾聴してくれて、話はしやすいところもあり、話す分には差し支えなかったけれど、どこかで、カウンセラーの人を異性として見ている、意識しているからというのもあるし、自分で自分の問題をよく認識していなかったり、認めたくないところがあったり、向き合いたくないところがあったりして、自分の喋りたい時に、喋りたいことを、喋る場として、その後のカウンセリングを続けて行っていた気がする。

社会不安障害や今で言う社交不安については、本当に自分でそういうところがある、そういうところで苦しんだり辛かったりすると、本気で認識したり、そんな自分を受け入れたり認めるようになったのは、つい最近のことかもしれない。

こんなこと、人(全ての人に対してと、全ての場面ではないけれど、特定の場面、人に対して)に対して緊張するとか、人前で何かするのが緊張する、苦手だなんて、認めたくない、知られたくない、恥ずかしい、カッコ悪い…そう思っていた。

でも、自分にはそういうところがあり、それで苦しんだり辛かったり、生きづらさを感じてる。そのことを最近になってようやくというか、少しづつ認めるようになってきた気がする。

カウンセリングやら治療では、まず、そのことを受け入れ認め、辛い、苦しい、だからなんとかしたい…そこからスタートすればよかったのかもしれないと今では思う。

でも、その時の自分は、最近に至るまで、どこかで社会不安障害、社交不安や、それを抱えてる自分、それで苦しんでいる、生きづらさを抱えている自分を受け入れたくない、認めたくないという思いがあった。

苦しみや辛さ、生きづらさというものは、まず、そのことを自分自身が認める、そんな自分がいること、そう言うふうになる自分というものを認めること、そのことにより、辛い、苦しい、生きづらさを抱えていると認識すること、そこから解放や緩和、消化や昇華していくものなのかもしれない。

最近ではそんなふうに思う。

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