カウンセリング履歴② 大学時代の学生相談室その2 論文の題材になる

学生相談室でのカウンセリングでは、こんなことがあった。

カウンセリングをはじめて2年目、大学に復学して2度目の大学一年生を送っていた頃の話。

この頃は学生生活は割合と順調であった。

はじめて真剣に交際する女性も学内ででき、音楽サークルにも出入りし、自分の学生生活に求めたもの、それ以上の経験ができ毎日充実していた。

そんな中、カウンセリングも引き続き続いており、週一度、カウンセラーになんでも話せるという時間、なんでも話を聞いてもらえるという時間は、それまで本音や本心を親をはじめ誰にも打ち明けてこなかった、悩みや苦しみから、日常のあれこれまで、気兼ねなく話せる相手というのは、生まれてはじめて経験する体験と時間だった。

ある時のカウンセリングのとき、カウンセラーから、心理臨床の専門誌に掲載ふる論文に、私のカウンセリングの事例を掲載したいのだけれど、原稿チェックのうえ、もしよければ了承してもらえないかとの持ちかけがあった。

私は、あまり深く考えず、また、気軽な気持ちで了承し、原稿を読んだ。

すると、そこには論文タイトルには、『神経症』としての事例として私のカウンセリングの中身が、個人を特定できないように詳細はぼやかした上で掲載されていた。

えっ、神経症って何?
俺って神経症なの?

正直戸惑いと驚きがあった。

また、私の生育歴やカウンセリング内容に対するカウンセラーの私見として、子供から見離されることへの恐れから、干渉し続けた母…

というカウンセラーの私見や、

過剰適応的なところがある

という私についてのカウンセラーの私見がその原稿には書かれていた。

待って、聞いていなかったんだけど。

そのカウンセラーとの面談では、私が喋ることについて傾聴をしてくれてはいたけれど、時折私見や感想を述べられることはあっても、上記のような私見や感想などは、それまで面談、カウンセリングの中でカウンセラーの口から聞いたことはなかった。

そういうふうに思っていたんだ。

そういうふうに思われていたんだ。

と、私はその時はじめて知ることになった。

そういわれても、そうなの?と思うだけで、腑に落ちる感じや、ピンと来るものはなかった。

けれども、特に私は深く考えることもなく、私自身の個人の特定がされる心配のない内容であること。そして、内容的に、カウンセラーの私見以外は面談での内容や私の話したことと相違ないことから、その原稿を掲載することを了承した。

そして、その後もそのことを深く考えることはなかった。

しかし、今になって考えると、神経症という病気や状態については、私自身病識があったわけでも、そのことが辛かったり悩みでカウンセリングを受けたわけではない。

まして、そのことで苦しみ、精神科等で診断を受けたわけでも、それ以前に精神科や心療内科の受診を自分で検討したことすらなかった。

そもそも、医師の診断なしに、神経症という診断を、臨床心理士が下すことはできるのだろうか?

そこは精神科医療が判断診断する領域ではないのか?

と今は思う。

また、直接そう言われたわけではなく、その、対外的に出版される論文ごしにそのことを知ったというのも、モヤモヤするところでもある。

そんなふうに私のことを見ていたのか、思っていたのか。

何も言わなかったけれど、心のうちではそう思っていたのか、と。

そして、母親に対するカウンセラーの私見や、私に対しての過剰適応的なところがあるというカウンセラーの見立ても、直接聞いておらず、対外的な論文越しに知ったということもモヤモヤする。

そう思っていたならば、なぜ面談の中で言わなかったのか、伝えなかったのか。

伝えなかったのならば、なぜ論文という形で、私が知ることになることには、問題視しなかったのか?

伝える必要がないことならずっと黙っていればいいし。

そのときは、そのカウンセラーを信頼していた、そのカウンセラーとの面談の時間を大切に、自分に必要なものだと思っていたけれど、今になって振り返ると、どうも、モヤモヤする部分や、信頼に足りうる相手だったのか、そのカウンセリングとカウンセラーとの時間が本当に身のある、自分にとって大切なものであったのか、よくわからなくなってきた。

ただ、そのときは、小さな胸のつかえや、喉に刺さった魚の小骨のような違和感も、面談の自由さや自分のこと好きに喋れる心地よさのほうが勝っていたことにより、胸の奥にしまい、カウンセリングを続けていた。

つづく

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