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写真を撮られること、名前で呼ばれること


先日、友達数人と会いました。
友達はSNS用に写真を
いっぱい撮ってました。

私も何枚か一緒に写って
それがアップしたのを見かけました。

以前はそんなことしたら
死んじゃうと思ってました。

写真が大嫌いだったからです。

小さい頃から嫌いでした。

親が写真として残したがるので
拷問でした。

笑えない。

→写りたくないと言えるように
 なっても拒否権はなく、顔を隠す

→映らないようにした。
家族に↑ここまで認識してもらうの
何十年も掛かりました。

多分、今まで、ずっと
私は、透明人間でいたかったので
写真なんかに写って、
それが残るのも拷問だし、
後から見返して、
自分が人に見えていると
自覚しないといけないこと、
酷い見た目だと、
再認識することとか

本当にそれはそれは拷問でした。


自分が存在してることを
認めたくないから。

実は名前もそうです。
姓 名 の苗字ではなく
「名前」で呼ばれる事も嫌いでした。

「苗字」なら 
私と限定されない。
というのと、
小学校の頃から呼ばれ慣れている
というのがあるからです。

でも下の名前は「私」と
はっきり特定される感じが
怖くて、気持ち悪くて、
なるべく呼ばないで欲しいと
お願いしてきました。

写真を撮られることも
名前で呼ばれることも

自分でいいと
少しずつ思えてこれたお陰か

昨日になって、ふと
その二つが、
好きでも嫌いでもなく
普通に受け入れていることに
気付きました。

見た目についての嫌悪感は
どうしようもないので、
今でも自分であえて
見返す事は少ないですが、
それでも、オンラインで
どうしても最近は
自分の顔と向き合あうことが多いので、
観念した感はあります。

これから、
今辛いことや、
出来ないことも
こうして当たり前に
なっていく事が増えていくかなぁ?

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