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子どものしつけには即効性のある「怒鳴り」や「恫喝」を用いがちだが、それは親のイライラを発散しているだけ

気がつけば12月に。師走という言葉があるように、年末はなにかとバタバタしてしまいがちです。あまりに予定が詰まりすぎていて体調崩しそうだなーと思っていた矢先の週頭息子を送迎しオフィスに向かうと悪寒がすごく暖房ある室内でダウンが脱げない有様に。その深夜は3年振りに38度台の発熱で、とうとうここに来てコロナに感染したか!と思い病院にかかり検査をするとまさかのコロナでも流行りのインフルでもないオチ。その日から更に具合は悪化し2日程お風呂にも入れない絶不調ぶり。何度自宅のキットを使ってもネガティブで逆に笑うしかない状況でした。身体が本当に限界を迎えていたようです。

一番体調を崩せない時期にぶっ倒れてしまい各所にひたすら謝罪の連絡を入れ、それでも予定はリスケのしようがないスケジュール感で更に嫌気が差しました。

限られた時間の中で、仕事と家事と育児を毎日こなしていると、体調が悪かったり疲れがたまったりしたときに、いつもなら何でもないことが急に気になりだして、気づいたら子どもを怒鳴ってしまうという経験は、子育てをしている親であれば誰にでもあるかと思います。どんなに体調不良でも送迎する私ですが今回は送迎に行けるような状態でも無かったので、久しぶりに絶不調だった模様です。そしてとうとう3日目にして息子にもうつしてしまったようで少し咳がではじめたのでスクールはお休みさせ朝一に病院へ連れていき流行り病のコロナとインフルとアデノウイルスの検査を。どれも陰性で一安心ではありますが、自分の意識が朦朧とする中で子供の病院の付き添い、何もできない状況で元気いっぱいな息子が一日中家にいるカオスな状況となり、最近はあまり怒ることも無くなりましたが、声も出すのも辛い中「私がこんなに辛いんだから一回で聞いてよ。いい加減にしなさいよ。」と、自分の体調不良によるスケジュールの乱れの苛立ちを全て息子に全力投下し「そのテンションで彼に話して状況が好転するんですか?」と夫にいつも通りなじられ、その的確な意見が更に私のイライラに繋がるという最悪の負のスパイラルパターンですよ(笑)

そして、息子がスクールに行き、ゆっくりな時間がおとづれすと、自分が予定通りにスケジュールがこなせていない焦りと自分への苛立ちをただただ息子に八つ当たりし怒鳴っていた自分に猛烈な自己嫌悪。こういった気持ちは、子育てをしている親であれば誰にでもあるかと思います。自分への戒めにも今回は子どもを怒鳴ることが如何に無意味かについて綴りたいと思う。

子どもを怒鳴ることはしつけになるか?

子どもが言うことを聞かなったり、何度止めるように注意しても、同じことを繰り返す時、つい大声で怒鳴ってしまうようなことあると思います。あふれる情報を、簡単に入手できるようになった昨今「怒鳴ることはしつけではありません」「子どもが言うことを聞かない時は、冷静に注意しよう」など子育て中の親だったら一度は見聞きしたことがあるかもしれません。そうです、怒鳴ることはしつけではありません。親のイライラした感情を発散しているだけと言えます。

ですが、実際はどうでしょうか。例えば、いつも冷静に叱り、注意する母親と、感情的に大声で怒鳴りつける父親がいる家庭を想定してみましょう。子どもは、母親の注意は、うわの空で聞くようになり、時には口ごたえをしたり。いつしか母親は子どもになめられてしまい、その反面、大声で怒鳴りつける父親の言うことは、よく聞き、父親の前ではしつけの行き届いた振る舞いをする。このような場面は、実生活の中でよくあるのと思います。そこから「厳しいしつけは必要であり、そのためには、大声で、怒鳴ることも正しい」という意見があるのも事実です。確かに、大声で怒鳴ったり、恫喝して子どもをしつけることは、即効性があり、その場面では正しいようにも感じるかもしれませんが、それは将来、子どもにマイナスの影響を与えるもの。

親の顔色を見て物事の善悪を判断する

当たり前ですが、子どもは、親に怒鳴られたくないので、とにかく親が怒鳴るのを止めるように、その場は指示通り受け流す。しかし「何故、注意されているのか」「何がいけないのか」注意されている理由を考えようとはせず、ただ「早く親の怒鳴り声や恫喝から逃れたい」との思いが先走り、いけないことの理由を考える瞬間もないので、当然に良心もそれでは育ちにくい。何故、怒鳴られているのか、何がいけないのか、理由を考えないのだから、善悪の判断を考える力も育ちにくくなる当たり前に、親の顔色を見て、善悪の判断をするようになる。そして「親に見つからなければよい」と思うようになり、親の見ていないところでイタズラをすることも出てくる。

「怒鳴る」「恫喝する」は確実にエスカレートしていく

怒鳴られたり、恫喝されると、最初は言うことを聞き、指示通りにすると思います。ですが、子どもはその「怒鳴り」や「恫喝」にだんだん慣れていくもので、同じ怒鳴り方では、子どもは言うことを聞かなくなり、どんどん怒鳴り声が大きくなり、どんどんエスカレートしていく可能性が多いにあります。そして、子どもは、親の言動を見て、育っています。親が怒鳴ったり、恫喝している姿を見て育った子どは、やがて同じような方法で物事を解決しようとします自分の思い通りにいかない場面では、人に大声で怒鳴ったり、恫喝して、人を動かそうとする大人に育っていくのです。絶対に嫌です(笑)そもそもその怒られるような態度な場合、子どもの中でも学校などで辛い出来事があり、その反動が出ているのかもしれません。また「もっと親にかまってほしい」という気持ちが、隠されている場合もあります。そのように、親に怒鳴られるようなことをする原因が、何かあるはずです。子どもは、親に認められたい、褒められたい、という気持ちを本来持っていますが、友達に意地悪をされた。下の子が出来て、からかまってもらえなくなった。最近親の仕事が忙しくて、話しも聞いてもらえないなどの隠された気持ちがあり、わざと怒られることをすることもあります。そのような場合、根本の原因に対処すべきで、怒鳴ることでは、何の解決にもなりません

父親が厳しい家庭の場合、母親はつい「お父さんに言いつけるわよ」などの言葉が出る方もいると思いますし、もちろんその反対もあるでしょう。ですが、それは責任を人に委ねるようになり、また言いつけた母親への反抗心が生まれ、母子の間に溝が生じるだけです。

しつけは、母性と父性、両方をバランスよく用いる

一般的に優しく受容的な関わりを母性、厳しく威厳性がある関わりを父性、と言われています。これは、母親が母性で、父親が父性の担当をしなければならない、ということではなく、母親が父性、父親が母性の役割をしても、問題はありません。これが我が家のパターンですね(笑)全てを包み込むような受容や思いやりの心を育む母性と、ルールや規則を遵守する、正義感や道徳観を育む父性、その両方が子どもの健やかな成長には必要です。

こどものしつけには、即効性のある「怒鳴り」や「恫喝」を用いがちですが、子育ては長い道のり。子どもが親元を巣立つまで、母性と父性のバランスでよく働きかけ、上手く自立を促していきましょう。

親が思っている以上に子どもは親の行動を観察している。子育ては長い道のりだ

と、只今絶不調な自分に向けて送りたい言葉たちです(笑)私はしっかりした親でもちゃんとした親でもないですし、そうある必要もないと思っていますし、息子が一番よくそれを理解しています。ただ、私のできる限りの精一杯を日々尽くしているつもりです。今週は送迎もできないレベルでしたが、お弁当だけはいつも通り作りました。スクールから送られてくる家族紹介の動画で「マミーは料理が上手で、マミーの料理が僕は好き。」という息子の言葉たちに病み上がりのベットの中一人号泣しました(笑)私はよく泣きますが、病み上がりは更に涙もろくなりますね。

決して料理が得意でもないですし、時短命の私です。それでも、息子には伝わっていました。私たち親の泥臭く頑張る姿は見てもらえているんだと感じた瞬間でもありました。親が思っている以上に子どもは親の行動を観察しているものです。子どもは親の背中を見て育つといいますが、その通りで、言葉で伝えるより行動で示すしかないです。私自身が子供の頃に当たり前のように母親から与えてもらったものを不器用ながらも、欲張りなので仕事をしながらも、一生懸命に頑張りたいと思えた瞬間でもありました。

4歳を超えると怒鳴るようなシーンはめっきり減っては来ましたが、たまーにこうなると自己嫌悪です。そんな日々の繰返しですが、今日は怒鳴ってしまった訳を真摯に息子伝えと謝罪をしようと決めたので、冷えピタ頭に戒めと反省を込め綴ります。

気温差が激しい時期ですので、皆様も体調には気を付けてください。そして今年もあと1ヶ月!共に全力で走り抜けましょう。

読んでくれてありがとうございます! 頑張っているチームのみんなに夜食をご馳走しようと思います。