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【短編小説集】どこかの世界の少し怖い話/第一話 自亡請負会社・表 ①発端~③焦慮

①発端

ひどい世の中になったものだ・・・。

私が子供の頃の “ 年間自殺者数 ” は約2万人。
それが “ 今 ” では数十倍の数にまで膨れあがり、毎年、毎日、いや、今この瞬間にも多くの人々が、自ら “ 死 ” を選んでいる。

しかし、人は自分に関係のないことにはなかなか興味を持たない。自分たちに直接影響が及ぶことだけを問題化していくものだ。

自殺者数がこれほどにまで増える前、人々の関心は “ 人口減少 ” にあった。

自分たちの生活レベルを圧迫するほどの国力の低下、それを引き起こし兼ねない勢いの “ 減少 ” を懸念したのである。

“ 人が減る ” 要因としては “ 自殺者の増加 ” もそのひとつに違いないはずなのだが、少しばかり増え始めた “ 他人の死 ” よりも、自分の身や家庭に “ 直接関係 ” してくる、より大きな要因の方を人々は問題視し、改善を求めた。

“ 減少 ” が始まる前のこの国は、小さな島国にもかかわらず国民1億人以上を保ち、いくつかの大都市では、その人口密度が問題になるほどの活気さを誇っていた。

しかし、多くの先進国がそうであったように、この国でも「高齢化」が進み、ある時期から並行して「少子化」が生じ始める。

国民からこれらの改善を求められた政治家たちは、政策を掲げ、挙って改革を謳ったが、それらは結局、選挙のためのアピールやその場しのぎに過ぎず、根本的な解決は “ 先送り ” にされ続けた。

国民は実質的な政策を求め続けたが、結局、どの政党が政権を取ろうとも、誰が総理になろうとも、“ 先送り ” の体質だけは変わらず、空虚な政策のみが掲げられ、意味ある改善に至ることはなかったのである。

結局、その問題のひとつを解決したのは、掲げられた政策でもなく、実行された対策でもなく、皮肉にも、彼らが “ 先送り ” し続けたことによって作り出された “ 時間 ” であった。

高齢者たちは、その時間経過の中で “ 自然の摂理 ” により減少していったのだ。すなわち「高齢化社会」は、彼らの “ 死 ” によって終結したのである。

しかし、多くを占めていた “ 高齢者たちの死 ” は “ 人口の減少 ” に直結する。そして、その間放っておかれたもう一方の「少子化」も進行し続けたことにより、高齢者は減り、若年層は増えず、この国の人口はピーク時の6割を下回るまで落ち込んでしまったのだ。

ここでようやく人々は “ 自殺者増加 ” を意識し始めた。
その数が “ 人口減少 ” の大きな要因と言われるまで膨れあがり、“ 自殺 ” というものが自分たちの周りでも “ 目 ” にする “ 身近な問題 ” になったからである。

すでに “ 人口減少 ” の責任を問われていた政府は、これ以上その声が大きくなることを恐れた。そして、国民の不満の矛先が様々な方面に飛び火することを嫌った。

所詮、政治家たちもこの国の者である。
直に自分たちへ被害が及びそうになってようやく真剣に動くのは国民と同じだ。しかし、ようやく真剣になって考えた政策も、具体的に実行された対策も、自殺者増加に歯止めをかけることは出来なかった。

その理由は、どの政策も対策も “ 時代錯誤 ” としか言い様の無いものだったからである。彼らは、この国が同じような状況に陥った “ 21世紀の初めの頃 ” の対策を真似たのだ。それでは “ 今の人々 ” には響くはずもなく “ 的外れ ” なものになるのは当たり前であった。

“ 昔と今の国民 ” では人種が異なる。
これは “ 私だからこそ ” その違いを指摘できることであり、政治家たちに限らず、“ 今 ” の人々には理解できないことなのかもしれない。それを性格、性質的な言葉で表すならば “ 気力の違い ” である。

昔の自殺は、金・仕事・恋愛・学校・家庭などの問題に苦悩した挙げ句、逃げ場を失った者が “ 最終手段 ” として選ぶ道であったが、今の自殺者たちは、苦しむ前に、悩む前に、その苦悩を避けるため “ 無気力 ” に死を選ぶのだ。

それは、ここに至るまでの “ 教育制度 ” のせいなのか、または数え切れないほどに増えた “ ハラスメント ” や “ コンプライアンス ” に敏感な世の中に、過剰に守られてきたせいなのか。自分で自分の生きる場所を見つけることもできず、自分で自分を守る方法も知らない者たちは、降りかかる問題を前にしたとき、それに抗うこともせず “ 無気力な自殺 ” に向かって動くのである。

それに彼らが気付いたのかどうかは分からないが、過去を真似た対策で失敗した政府は考え方を変えた。いや、変えたのは “ 考え方 ” ではなく “ 対象 ” であった。

“ 自殺 ” というものを最終手段ではなく、一番初めの選択肢としている “ 無気力な自殺者 ” に向けた直接的な対策をやめ、“ 自分たちに影響が及ぶことを嫌う ” 国民に向けたものに切り替えたのである。

それが「自殺罰法」である。

自殺罰法。それは自殺者のみならず、その周りの人々にも罰則を定めることによって自殺者数に歯止めをかける。すなわち、ある者が自殺した場合、関係の深い周りの者たちも罰せられるという法律である。

子供が自殺をすれば、親兄弟はもちろん、担任教師、友人が、一人の会社員が自殺をすれば、同僚、上司、そして恋人や妻、親戚に至るまで、その関係性の深さによって罰金刑、禁固刑に処せられる、というものである。

その者が自殺するほどに悩み、苦しんでいることに気付かなかったことは罪、気付いていたならばそれを放置したことは罪、として連帯責任制をとったのだ。

まさに、今の時代における「五人組制度」であり、その責任を “ まだ気力ある国民 ” に転嫁した法案であると言ってよい。

一部のマスコミや野党からの批判の声もあったが、この方法が正しいものであったのかどうかは別として、法律施行後、自殺者数は減少へ転じた。

自分が死ぬことによって、身近な人々に迷惑がかかることを気にして自殺を思いとどまる者が増えた、ということではない。

“ 他人の死 ” よりも “ 自分が罰せられる ” ことを嫌がる人々の目が厳しくなり、自殺行動を阻止、または役所や警察などに告発して責任を回避しようとする者が増えたのである。時代は変わっても、この国の人々の本質は「五人組制度」の頃から全く変わっていないと言ってよい。

兎に角も、これにより政策は成功、一見、この問題は解決されたかに思われた。

しかし、自殺問題が改善されてくるに従って新たな問題が生じ始めた。

“ 犯罪 ” が増えたのである。
 “ 自殺することを阻まれた者たち ” は、その苦悩を別の形で解決しようとした。

金に困っている者は銀行を襲い、会社での人間関係に悩んでいる者は上司を殺し、恋愛はストーカー以上の行為によって思いを遂げ、学校でのイジメに耐えられない者は校舎に火をつけた。

これらは “ 自殺 ” ではないため、自殺罰法の対象外であり、周りの者たちも自分たちに降りかかる火の粉がないため、見て見ぬふり、いや、自殺されるよりは良いと考え、その行為を勧めたり、中には陰で手助けする者さえ出てきたのである。

たちまち刑務所は、純粋な犯罪者よりも “ 自殺願望犯罪者 ” たちで一杯になった。

彼らが問題なのは、その犯した罪に対して一切後悔していないということである。

“ 自殺 ” という手段を無理矢理阻まれた彼らには、それ以外に問題を解決、回避する方法はなかったのだ、という大義名分がある。

従って、捕まった後、素直に犯行を認めるが、決して後悔、反省することはなく、刑が終わり社会へ戻った後、再び問題に接すると、それを解決、回避するための罪を安易に犯すのであった。

元々、彼らの心の中には、“ 自殺 ” というものが存在している。だからどのような刑も恐れることはなく、逆に死刑をも望む者も少なくなかった。

しかし、この国では死刑という刑は法律で禁じられており、どれほど重罪であろうとも終身刑が最高とされている。

その終身刑も「終身」とは名ばかりであり、どこかの国のようにハッキリと禁固百年、二百年といった到底生きていられない年数を科すことがないため、殺人を犯したとしても実際は七、八年もすれば仮出所が許されるのである。

警察や裁判所が対応に追われ続け、刑務所は常に満杯状態になったのも当然のことと言えるだろう。

そして、全国の刑務所の収容率はあっという間に200%を超えた。これは、アジアの発展途上の国々と同じ水準である。

6人部屋に10人以上収容されることが当たり前になり、それでも大都市の刑務所では受刑者を収容仕切れず、留置所へ送り返されるという事態まで発生した。

その煽りを受けて、警察は軽い犯罪を見逃すようになり、裁判では執行猶予付きの判決が増え、刑務所では受刑者の仮釈放を早める特別措置が乱発されるようになった。

全ては、刑務所や留置場の収容人数を減らすためである。

その結果、罪を償わなければならない人々が、捕まること無く、また捕まる心配もせずに街中に溢れることとなり、当然の如く治安は悪化していった。

これに対する非難の矛先は、もちろん政府に向けられる。そして支持率は「自殺罰法」施行以前よりも低くなる。

野党からは責任追及の声が上がり、味方であるはずの与党の中からでさえ政府批判が出始めたのだから、彼らはまた焦りだした。

しかし、「自殺罰法」という法律を作ってしまった以上、今更 “ 自殺 ” を容認することはできない。かと言ってこの状況を放置していれば、この国は犯罪者とその予備軍で溢れてしまう。

政府が憂慮したのが、街の治安なのか、自分たちの支持率のことなのか、私にはよく分からないが、どちらにしても四面楚歌の状況であることに変わりはなかった。

そして、その孤立無援の政府が起死回生の策として考え出したのが「自亡請負会社」である。

“ 自殺 ” を許すことはできないが ゛殺される自由は与えよう ゛という、自分たちが施行した「自殺罰法」の本来の意義からすれば、本末転倒のような会社を彼らは作ったのである。

“ 自殺願望者 ” がここに駆け込めば、希望する日までに、希望する方法によって殺してくれる。まさに “ 死にたい者たち ” のための現代版 “ 駆け込み寺 ” と言ったところだ。

そして、かくいう私が、その会社の “ 代表 ” なのである。

“ 代表 ” とは言っても、出資したわけでもなく、設立に関わったわけでもない。この会社は、国が全額出資する国営企業であり、また、政府の管轄下にある政府所有会社でもある。実際の運営・管理は国、政府が行うのだから、私はただの “ 雇われ代表 ” なのである。

しかし、それも当然なのだ。

何故なら、私はついこの前まで “ 刑務所 ” に服役していたのだから。


②能力

 何故、刑務所に服役していた犯罪者が、国営企業であり、政府所有会社でもあるところの代表として選ばれたのか。

それは、そこが “ 殺人 ” を扱う会社だからにほかならない。

本来、怒りや憎しみで人を殺すのも、殺してと頼む相手を殺してあげるのも “ 殺人 ” であることに変わりは無い。当然、どちらも捕まるべき “ 罪 ” となる。しかし、それが政府公認の行為となると、たちまち正当化され、会社という組織において “ 仕事 ” として扱われるのだ。

私は “ 犯罪者 ” であった。自殺願望犯罪者ではない。数え切れないほどの悪事を働いて捕らえられた “ 純粋なる罪人 ” である。

どのような罪を犯したのか、何故、悪事を働く人間になったのか。それはこの話とは関係のないことであり、また、それをひとつひとつ説明していては膨大な時間を要してしまうため、ここで 語ることはやめる。

ただこの前まで、この国の最高刑である “ 終身刑 ” として服していたということ、そして、この国の法律では、犯した罪の中に “ いくつかの殺人 ” がなければ “ 終身刑 ” になることはない、ということだけを伝えておく。

とにかく、私が犯した “ 悪事と罪の数 ” 、そしてその “ 内容と経験 ” が、この国で初めて作られる「自亡請負会社」にとって必要とされたのである。

運営と管理は出来ても、政府の役人たちに人を殺す “ 能力 ” は無い。殺人には特別な “ 能力 ” が必要であり、私はそれを “ 身につけて ” いるのだ。

単に人を殺すだけならば、誰にでも可能だ。しかし、この仕事は “ 自殺願望者 ” が望む方法で、且つ、望む日までに殺さねばならない。さらに多種多様な要望が加わることもあり、それらに対応出来る “ 能力 ” は、決して書物などから学べるものではなく、実際の “ 経験 ” からしか、身につける方法はないのである。

3年前、突然、私は赦免された。終身刑であったにもかかわらず、服役期間はわずか8ヶ月で済んだ。

赦免の条件は「自亡請負会社」の代表となることであった。

それを伝えに来たのは、政府機関の難しい部署名が書かれた名刺を持つ “ 黒縁の丸眼鏡をかけた痩せぎすの男 ” であった。

この男は “ 私の前に度々姿を現す者 ” であり、“ 私の監視役 ” でもあるから、もう少し姿を想像しやすいように説明しておく。

立っていても座っていても背筋をピンと伸ばして姿勢を崩すことがない。七三で分けられた白髪が一本も無い真っ黒な髪を、ポマードかワックスでぴったりと頭皮に張り付かせている。

いつも眼鏡は黒縁、スーツもワイシャツも靴も余計なラインやデザインは一切無い黒一色で統一しており、反対に首から上とスーツの袖から出た両手は色白のせいか、浮き上がっているかのように見える。

その色白で痩せぎすの顔は頬骨が張り、両目は落ち込み、初めて会ったときには、昔見たホラー映画の一場面で、稲光の時だけ主人公の顔がサブリミナル的に変わる髑髏か悪魔のような顔を咄嗟に思い出したものである。

いつも彼は片手にタブレットを持っている。何故かこれだけは赤色。大きめなので10インチ以上のものだろう。

刑務所の面接部屋で会ったときも、そのタブレットの画面に条件や契約内容などを表示しながら、小さいがよく通る声で説明された。

赦免の条件は「自亡請負会社」の代表となること、“ 代表 ” になれる条件は、人を殺すことに慣れている者、どのような殺し方も経験している者、そして壮健で、部下を統率し、指示命令ができる者・・・。

他に二人の候補者がいたらしいが、一人は年を取り過ぎており、もう一人は精神的な問題のある者であったため、私が選ばれたらしい。

終身刑を赦免された上に、これまで自分が作り上げてきた “ 能力 ” を活かせる仕事まで世話してくれるのだから、断る理由はなかった。

私には自信があった。

“ 殺人 ” に関して、私の右に出る者などいるわけがない。
この “ 能力 ” は活かして然るべきなのだ。

そう意気込んで “ 代表 ” になることを承諾したのである。

しかし、残念ながら、その後、今日に至るまで私がその “ 経験と能力 ” を直接発揮する機会は与えられなかった。

“ 代表 ” の仕事は、契約内容の確認、現場チームの編成、各責任者との打合せ、そして最終的な全体計画を立てることであり、現場で “ 人を殺す ” ことではなかったのだ。

これが会社組織の中で “ 仕事をする ” ということなのか。

以前の私は、全て一人で行動していた。犯罪においても然りだ。いわゆる単独犯である。どこかの組織に入っていたわけでもなく、誰かと協力し合うこともなかった。もちろん “ 殺し ” においてもそうだ。誰かを雇ったり、誰かに協力を求めたりしたことはなく、計画から準備、実行まで全て一人で行ってきた。

しかし、ここでは、全てが分担制であり、私は全体的な計画を立て、それぞれの責任者へ指示するだけで良いのだ。

それは、私にとってあまりにも “ 楽すぎる仕事 ” であったが、私が苦労する、しないに関係なく、会社の業績は順調に伸びていったのである。

考えれば、それも当然であった。

私には “ 能力 ” があるのだし、その “ 経験 ” から得た知識を、部下たちへ “ 具体的な方法 ” として指示すれば、必ず “ 仕事 ” は成功するのだ。

部下も特に優秀な者を揃える必要はない。私の指示を理解でき、それを忠実に実行さえ出来る者であれば “ 目的 ” は達せられるのだ。

しかも、この会社は、国内唯一の「自亡請負会社」なのだ。この国の全ての “ 自殺願望者 ” たちが頼れるのはここしかないのだから、 “ 依頼人 ” に事欠く心配もない。

実際、その “ 自殺願望者 ” の多さには驚かされた。

問い合わせの電話が鳴り止むことはなく、毎日、様々な “ お客様 ” が説明を聞きに来社する。来社予約がなかなか取れないため、説明を受けた日に “ 契約 ” までしていく者も少なくなかった。

この会社と “ 契約 ” するのに特別な条件は無い。

年齢制限も無く、親や扶養者の許可も必要無く、 “ 自分の意思 ” を伝えられさえすれば、子供から老人まで、年齢に関係なく、誰でも “ 契約 ” することが出来るように “ 法制化 ” されているのだ。

但し、その “ 対価 ” は馬鹿にならない。五割以上の “ 特別税 ” がかかるために、希望する “ 死に方 ” によっては、到底、子供や学生、年金暮らしの老人などでは支払えない額になる。

しかし、それでも “ 自殺願望者 ” たちは、お金を工面してくる。

お金のない者は、親、兄弟、親戚、友人はもちろん、担任教師、アルバイト先の店長、アパートの管理人など、周りのありとあらゆる人からお金をかき集めてくるのである。

周りの者たちにしてみれば、その者に隠れて自殺され、自分たちに刑罰が及ぶことが一番怖い。確実にそれを回避でき、安心を買えるのであれば、多少の金銭的負担ならばやむなし、と考えるのであろう。

とにかく “ 私の能力 ” と “ 一社独占 ” のおかげで、会社の業績は上がった。それとともに、私の収入も増え、服役する前では考えられないほどの優雅な生活を送れるようになった。

おかしなもので、刑務所に入る前に、金のための “ 悪事をした私 ” は罪人として裁かれたが、赦免されて国営企業の代表となった後の “ 私の悪事 ” は金に変わり、良い生活を保障してくれるものへと変化したのだ。

“ 保障 ”

そう、その時は、これからも “ 国に守られた悪事 ” をすることによって、会社の業績は伸び続け、この優雅な生活も続くものと思っていた。

しかし、風向きはいつも突然変わる。

政府が “ 自亡請負 ” を民間企業にも承認すると言い出したのだ。

五割以上の税金を徴収できるこの商売を民間に広げることにより、税収入を増やそうと考えたのである。

あっという間に、各地で「自亡請負会社」が立ち上げられた。

それによって各社の競争は激化。競争となると国営と民間では勝負にならない。それまで一社独占してきた私の会社は、価格やサービスの面で差を付けられ、利用客は大きく減少。一気に赤字経営となってしまったのである。

「この業績が続く場合、自亡請負業務の国営企業・政府所有会社での対応は廃止、全て民間に委託することが検討されます。その場合、当然、貴方はまた刑務所に戻っていただくことになります。」

政府の対応は早かった。

あの “ 黒縁の丸眼鏡をかけた痩せぎすの男 ” から、来年の通常国会が開かれるまでに業績回復がなされなければお役御免、と通告されたのは、4ヶ月前のことである。

あれから状況は変わっていない。

私は焦っていた。

“ 彼女 ” がやって来たのは、そんな頃であった。


③焦慮

「自亡請負会社」 “ ジボウウケオイカイシャ ” と読む。

その名のとおり “ 自ら ” を “亡くす” ことを請け負う会社である。

毎年発表される公示地価ランキングでは常に上位に入る、歓楽とビジネスが入り交じった全国的にも有名な街。その目抜き通りに面した35階建てビルの最上階を独占してこの会社はある。

ここへ来る者の “ 目的が目的 ” なだけに、他の人との接触を避けられるよう、地下駐車場から最上階への直行専用エレベーターが用意されている。一応、各階止まりのものも最上階には行くのだが、スタッフ以外で利用する者は殆どいない。

エレベーターを降りると、目の前は広いガラス張りのエントランスとなっており、入ってまず初めに目に入るのが、波線を主体にしたテクスチャの白いパーテーションである。その中央上部には、カバーガラスで覆われた「政府公認/自亡請負会社」という社名が掲げられている。

一般の訪問者には、そこに置かれた内線電話で、用件のある相手を呼び出してもらうことになっているが、“ 来社相談 ” を予約している者、または “ 自亡契約 ” を結んでいる者は、右奥にある木目調の扉に付いている電子錠に “ 登録番号 ” を入力すれば、自由に入室することが出来るようになっている。

その木目調の扉を入ると、左手にライトグリーンの受付カウンターがあり、二人の受付係が、丁度、エントランスのパーテーションの裏側を背にした位置に座っている。

カウンターの前は待機スペースである。木製の丸テーブルとソファーのセットがいくつか置かれているが、その間隔は広く取られており、要所要所に置かれた観葉植物によって、お互いの視線が気にならないように上手くレイアウトされている。

壁は白一色、床は緑と黒を交互にしたタイルカーペットで統一され、聞こえるか聞こえないかくらいの音量で、どこかの国の民族音楽かと思わせるような曲が常時流されている。

その待合スペースの奥、すなわち、受付カウンターの向正面の中程から、幅3mほどの通路が真っ直ぐ奥へ伸びており、その両側に6室ずつ、合計12室のガラス張りの接客ルームが並ぶ。

通路は接客ルームの先でT字に分かれており、左側にはスタッフの業務室、会議室があり、右側には政府関係者や重要な取引先などが来社した場合に使用する特別接客室が2部屋、そして、そのさらに奥に私のオフィスはある。

その日、私は、翌週に “ 黒縁の丸眼鏡をかけた痩せぎすの男 ” へ提出しなければならない、一週間分の業績報告書をまとめていた。そして一向に回復していない数値を見て頭を抱え、半年後には “ 刑務所 ” へ戻らねばならなくなるかもしれない状況であることに、改めて “ 焦り ” を感じていた。

しかし、頭を抱えたところで、どうすればよいか分からない。そもそも私はただの “ 犯罪者 ” なのである。私にあるのは “ 犯罪能力 ” であって 経営能力ではないのだ。しかも、赤字経営へ転じてからというもの、あの “ 黒縁の丸眼鏡をかけた痩せぎすの男 ” のせいでスタッフの人数は減らされ、追加の宣伝広告費さえ承認されなくなっている。

赤字を解消するためには “ 利益 ” を増やさなければならない、ということだけは確かだ。しかし “ お客 ” を増やすための経費は認めてもらえない。とするならば、今の限られた “ 依頼 ” 一件一件の利益を増やすしかない。しかし、それにはどうすればよいのだ・・・。

報告書に何かしらの数値を入力するたびに、頭を抱えるようにして同じことを繰り返し考えるが、全く具体的なアイデアは出てこない。

受付からの内線電話が鳴ったのは、朝から繰り返される “ 焦り ” と思考に、精神的にも体力的にも疲れを覚えてきていた頃であった。

「予約をされずに来られたお客様が、どうしても説明をお聞きになりたいとおっしゃられているのですが・・・。」

来社はすべて予約制になっている。

それは、予約時に、ある程度内容を確認したうえで担当を決め、前もって資料の用意や、その要望に法律的な問題が無いかどうかの確認をする決まりになっており、急に来社されても対応できないからである。

ただ、精神的に追い詰められている人にとっては、“ 予約を取る ” などという心の余裕はなく、いきなり来社してくるケースは少なくない。

だからこそ、そういった場合のために、エントランスと受付のある部屋をセキュリティ・パーテーションで仕切り、“ 登録番号 ” がなければ、勝手に入室出来ない作りにして、予約・契約のない者は、全て内線の電話口で断れるようにしているのだ。

もちろん、単に冷たく拒否するわけではない。しっかりした対応をするためには前もって準備が必要となること、また、冷静さを欠いている状態で説明を受けても内容は理解できず、内容を理解しないまま契約しても、結果的には “ 良い死に方 ” はできない、ということを伝え、予約を取り、落ち着いた心境で改めて来社されるようにお願いするのだ。

ほとんどは、これで引き下がる。

しかし、中には全く聞き入れず、エントランスに長い時間居座る者もいるが、そういう場合の対応は決められていた。

「いつものようにご説明してお引き取り願えばよいでしょう。あまりにしつこい場合は、しばらくの間、エントランスの電話回線を止め、それでも帰らなければ、警備員を呼ぶのが決まりになっているはずですよ。」

そう伝えたが、受付係によると、その者は既に入室してカウンターの前にいるらしい。待機スペースにいる “ 他のお客の目 ” もあり、強制的に退室させるわけにもいかない、ということであった。

社内では、お客の精神的動揺を避けるため、大きな音や声は厳禁とされているのだ。

それにしても、どうして入室できたのか。

予約か契約をしていなければ “ 登録番号 ” を持っていないはずである。誰かが入室させたのか、それともシステムの誤作動か。

私は、社内の監視映像が見られるパソコンを開き、受付に繋いだ。カウンターの前に立つお客が映るように、後ろのパーテーションの上部に隠されてカメラは設置されている。

見ると、それは小柄な女性であった。

カーキ色の大きめのMA-1にTシャツ、下はジーンズにスニーカーという服装。黒のニット帽を深くかぶり、さらに、前髪を目の下まで覆うように出しているため、顔はよく見えない。

「そもそも、何故、私に連絡するのです。部長はどうしたのですか。」

朝からの疲れもあり、私は少しイライラし始めていた。

“ 部長 ” は、私の代表に次ぐ役職であり、現場業務のトップでもある。会社の責任者が代表、現場責任者が部長ということである。

この会社に入る前は、大手の生命保険会社で働いていたが、政府によって引き抜かれた、と聞いている。

私と違って、会社設立構想、準備の段階から携わっていたため、私を上司と思っていない節があり、何かと意見を言ってくる、少し面倒な部下である。

「もちろん、はじめに部長へ連絡致しました。しかし、接客中とのことで・・・。」

受付担当は、それ以上は言いづらそうに語尾を濁した。

私は、それを代表と部長の板挟みにされた “ 困惑 ” と取り、受付係を責めても仕方の無いことと思い直し、深い呼吸を何度かして心を落ち着かせた。

そして考え直した。

何も、あちらから飛び込んできてくれたものを逃す手はない。予約もせずに来た客だ。相当切羽詰まっているに違いない。これは、契約者を一人増やし、利益を稼ぐチャンスなのではないか。

ただ問題は、担当するスタッフをどうするかである。

「手が空いているスタッフはいませんか?」

「はい。皆さん現場に出ているか、接客中でして・・・。」

返事の声は小さい。

お客が前にいるため、聞かれないように話しているのだろうか。

(まったく、あの “ 黒縁の丸眼鏡をかけた痩せぎすの男 ” が人員削減などするから、稼げるときに稼げなくなるんだ。刑務所に戻されないためには、こういう客をどんどん捕まえていかなければならないというのに。)

私は思いきって決断した。

「分かりました。少しだけお待ちいただくようにお伝えして下さい。私が対応しましょう。」

この会社へ来てからお客と直に接する業務に携わることはなかったが、いつも部下が対応した契約の確認、承認をしているのだから、内容説明や契約の締結くらいは出来るはずである。

とにかく、今は一人でも多くの “ 契約者 ” が必要なのだ。しかも、利益を荒稼ぎできそうな客だ。逃がす手は無い。契約までさせてしまえば、こっちのものだ。あと数ヶ月で少しでも業績を上げておかねば、私は “ 刑務所 ” へ戻されてしまうのだ。

“ 焦り ” そう、焦りが私を動かした。

受話器を置くと、説明や契約に必要な書類を揃え、もう一度、深い呼吸をしてから部屋を出たが、その歩く速度は速かった。


《④面談》へつづく(執筆中・近日追記・投稿予定)

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