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Arcアーク〜死とどう向き合うか選ぶのはあなた〜

石川慶監督がケン・リュウの原作を映画化した「Arc」私はちょうど一か月前ほどに「Arc」の予告を見て、「何これ。すごい、、。」と惹きつけられた。何をすごいと思ったのか。それは、スタイリッシュで洗練された映像である。現代でありながら現実ではない。そんなSFの世界観が映像に落とし込まれていたのだ。

映画を鑑賞して、予告の時点で漂っていたスタイリッシュなSFの世界観は演出や演技はもちろんのこと、「衣装」「ヘアメイク」「美術」などによって作りこまれていたことをしみじみと実感した。

ブルーで統一されたエターニティ社の職員の服、リナに引き継がれた真っ黒なコートにリナの年齢の成長に合わせて変化する服とヘアメイクのテイスト、そして、プラスティネーションされた死体にプラスティネーションする作業工程。どれもこの原作を映像化するのに欠かせない要素であった。

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近年、日本映画業界は「ヘアメイク」「衣装」をもっとフューチャーするべきだという意見が上がっているが、この映画はそれらの重要さを顕著に思い知らせてくれるだろう。

さて、この映画は「不老不死」を手にした人類の物語であるが、「永遠の命を手に入れる」こと、そしてそれに翻弄される人々をどう描いていたのか。

「死」を題材にする作品、特に「安楽死」「不死」などを扱う場合は哲学的にそして倫理学的にそのテーマを考えなければならない。なかなか安易に描くことは難しいものである。それを避けて完全なるSF(サイエンスフィクション!)として作ることは可能だが、作品を見ている人に「死」に対して考える機会を与えたいのなら、そしてその中にヒューマンドラマを組み込みたいのなら、避けるわけにはいかない。なんせ、この作品は何百年後の未来で起こる出来事というよりも、現代の中にフィクションを入れこんだ設定なので、特にそこは必要な観点である。

「Arc」では、「不老不死」に対して様々な意見が登場人物を用いて描かれていたように思う。
生の中に死があると主張するエマ、死は生の反対にあると主張する天音、愛しい人と共に添い遂げるため永遠の生を拒む人、そもそも不死というものに関心がなく距離を置いている人。上の2人は倫理学的に不死を考えるときに必ず出てくる大きな主張の2つだ。このようにどれか一方に偏ることはせず、様々な視点が描かれていた。そして、そういった人々の中に「リナ」がいる。周りにいる様々な人の行動を見て言葉を聞き、リナは自分は何を選ぶべきか選択をする。これは何者でもない、ただの女性「リナ」の一生の物語なのだ。

30代の「リナ」は不老不死を拒んだ師匠のエマとは別れ、天音と共に、不老不死を得る選択をする。

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しかし、「リナ」が子供を産みたいという気持ちが少しでもあるなら、いくらでも待つよ(なんせ、永遠の命があるんだから)と言ってくれた天音は遺伝子異常により、50代半で先に死んでしまう。

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永遠に共に生きていくと誓った天音と別れた後、リナは一つの選択をする。天音が「リナに選択してほしい」と残した凍結された精子を使うか否か。ここでリナは子供を産むことを決断する。

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90代の「リナ」は天音が不老不死になれなかった人のために作った天音の庭で娘のハルと暮らしながら、介護を行なっていた。そして、その島で不老不死の手術を拒んだというかつて自分が病院に置き去りにした息子利仁に出会う。そして、この90代のリナの場面は全てモノクロで映し出される。なぜこの場面はモノクロにしたのか??
それは、彼女の時が止まっていたことを意味しているのではないだろうか。永遠の生を受け入れ、彼女は外見だけでなく、彼女自身の時間も止まっていたのだ。
それが、最愛の人と添い遂げようとする息子に出会い、そして、息子が船で失踪(おそらく、亡くなった)ことで、リナは不老不死でいることをやめ、彼女の時は再び動き出した。

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時が動き出し、外見も130歳になったリナの場面は画面がカラフルに戻る。130歳のリナには娘はもちろん更に孫のセリまで生まれている。死ぬなんて間違ってると純粋に主張するセリに対し、リナは

「1人の人間として十分すぎる経験をして死ぬのよ。そうやって初めて、私の人生には始まりと終わりができる」

と答える。
リナは決して、一度は不老不死を選んだことを後悔しているわけではない。彼女がその選択をしていなかったら、娘を産むことはなかっただろうし、ずっと彼女の心の中の気がかりだった息子に会えることもなかった。彼女は永遠の命を手にしたことで、触れたいと望んだものに触れることができたのだ。彼女にとっての世界に触れた。それでもうリナは満たされたのだ。だから、生きることを全うして終わることを選んだ。でも、彼女は決して死を積極的に迎えようとしているわけではない。自分の力で力強く生きようと選択したのだ。それが、最後の空に掲げた彼女の手に表されている。

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リナは誰かとの別れの際に、常に何かを選択してきた。そう。これは彼女の選択の物語。だから、これらの選択はあくまで彼女の意思であって、社会の正解ではないし、彼女という人を通して制作人が何か永遠の生に対する確固たる意見を伝えたいわけでもない。ただ、一つ、、リナが会社見学に来ていた子供たちに言ったように、【「死」に対してどう向き合うか選ぶのは「あなた」】という強いメッセージを伝えたかった映画なのだと思う。

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