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進撃の巨人~「愛」と「呪縛」の物語~

多くの読者に愛された進撃の巨人が2021年4月9日に終わりを迎えた。

この漫画は多くの人に影響を与えるような漫画だったと思う。私もその一人だ。進撃の巨人を好きになって6年。ずっと、進撃の最終話を読むことを生きがいにしていた。これは大袈裟な言い方ではない。本当に私の中でそれほど大きな存在だった。
そんな人々を魅了してきたこの作品。多くの読者が「自分の正義を正当化することの危うさ」「緻密に練られた伏線」が描かれていたことを魅了として挙げるだろう。それも確かに進撃という作品を語るうえで欠かせない要素である。

しかし、私は進撃で描かれた「愛」について最後に語りたいと思う。「愛」といっても、ただ男女の恋愛感情というだけの意味ではない。それもあるが、誰かを心の支えにして生きるとかこの人のためなら尽くすことができるとかそういった広い意味での「愛」だ。献身的と言い換えることもできる。
進撃の巨人という物語の中で「愛」がどのように描かれていたのか、そして物語にどんな影響をもたらしたのか。

なかなか言葉で表すことが難しいワードではあるが、これから語るなかで私が進撃を読んで感じた「愛」という概念を一人でも理解、共感してくれたら嬉しい。

2023.11.11追記 アニメ後の感想「共犯」については別に記しました。

「愛」によって何かの「呪縛」「奴隷」から解放される物語

私は進撃の巨人を「人間が呪縛を乗り越える物語」として読んでいた。それを意識し始めたのは王政編からである。王政編最後の「友人」でケニーが語った台詞がある。

「みんな何かに酔っぱらってねえとやってらんなかったんだな・・・・。みんな何かの奴隷だった。」

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進撃の巨人69話「友人」より引用

最終話が連載された別冊マガジン5月号に諌山先生セレクトの「友人」がフルカラーで載っていたのも偶然ではないと私は思っている。進撃の巨人は何かに酔っぱらって生きるしかなかった、何かの奴隷になっていた人たちが誰かの愛によって解放される物語だ。



1.ユミルの愛によって解放されたヒストリア

時系列順に話すと、まずはヒストリアだ。
本名はヒストリアだが、王族の血が流れていることを隠すためクリスタ・レンズと名乗っていた。クリスタ・レンズは「誰からも好かれる良い子」を演じることに縛られていた。言い換えると「良い子の自分」に酔っていた。それは彼女の生い立ちが関係しているだろう。良い子じゃなければ、誰からも愛されなかった。愛されるために相手の期待に答えようと必死で、偽りの自分を演じていた彼女はユミルに出会う。
ユミルはクリスタ・レンズが良い子を演じていることに唯一気づいてくれたのと同時に、初めて「ヒストリアのありのままの存在」を受け入れてくれた人物である。ユミルとヒストリアの関係性については作品の中で明言されてはいないものの、私は恋愛的な意味を持つ愛をお互いに向けていたと思う。

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進撃の巨人40話「ユミル」より

「お前、胸張って生きろよ・・・・・。」

ヒストリアは15、16巻でも父親に愛されたいために、注射を打つことで父親にとって都合のいい「良い子」になろうとしていた。しかし、彼女はユミルのこの言葉を思い出す。

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進撃の巨人66話「願い」より引用

ヒストリアはそこでやっと誰かに好かれるために良い子を演じる呪縛から解放される。

「つまり、私は人類の敵!!わかる??最低最悪の超悪い子!?」

「私は人類の敵だけど、エレンの味方。いい子にもなれないし、神様にもなりたくない。でも・・・、自分なんかいらないなんて言って泣いている人がいたら、そんなことないよって伝えにいきたい。」

話が少し逸れるが、実はこの台詞かなりその後のヒストリアの行動の根拠になっているので私はとても好きだ。ユミルから愛をもらったヒストリアはみんな(人類)のいい子にはなれないけれど、自分と同じように苦しむ子には、自分が呪縛から解放されたように、救いたいという気持ちがあることがわかる。
余談だが、この考えは、ヒストリアがエレンの地ならしを知っていながら苦渋の決断の末に黙認した理由でもあると思う。エレンはユミルの次に、ヒストリアの存在を肯定してくれた人間である。そのため、ヒストリアの中で彼の優先順位が高くなっていると考えられる。

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進撃の巨人54話「反撃の場所」より

2.リヴァイの愛によって解放されたエルヴィン


そして、次にエルヴィン団長だ。
調査兵団で兵士たちに心臓を捧げろと言う立場でありながら、彼には夢があった。少年エルヴィンが抱いた夢。それは、自分の父親の仮説が真実であるかを確かめることである。その夢を叶えるために、調査兵団に入団したのだ。言わば、完全に個人的な夢のためである。
しかし、人類のために心臓を捧げる仲間たちの中で過ごし、ついには「人類のために心臓を捧げろ」と鼓舞して兵団を率いていかなければならない立場になってしまい、彼は「夢」と「使命」の狭間で葛藤していた。団長という立場でありながら、夢を叶えることに縛られていたのだ。夢を叶えることを諦めきれていなかった。そのことにあるシーンでリヴァイが勘付き始める。

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進撃の巨人51話「リヴァイ班」より

巨人の正体は人間である可能性が明らかになった時、エルヴィンは喜びを抑えきれていない。それを見たリヴァイはかなり衝撃を受けていることがわかる。「おいおい、人類のために命を捧げろと俺を調査兵団に引き入れたくせに、本当は他の目的があるんじゃねえか?」という感じだろうか。(それにしても、諌山先生は本当にキャラの心情を表情で表すのがうまい。特に絶望しているときの表情。)

そして、62話「罪」でザックレーとエルヴィンの会話がかなりの尺を使って描かれる。ここでエルヴィンが人類のために戦っているのではないということが読者に向けて明確に提示される。あの時の笑みは夢が叶えられそうだから出たものだったのだと・・・。

「人類を思えば、元の王政に全てを託すべきでした。常日頃、仲間を死なせているように、エレンやリヴァイ・・・、ハンジ皆の命を見捨て、王政に託すべきだったのでしょう。人よりも人類が尊いのなら・・・・。」

人とは「自分にとって大切な人間」という意味だろう。この台詞から彼の中で人類より個人の優先順位が高いことが明確になる。だが、この時のエルヴィンはまだ自分の本当の気持ちを隠そうとして曖昧な言葉で取り繕っている。「私には人類より仲間が大事だった」と。しかし、流石サイコパスなザックレー総統というべきか。エルヴィンの思考と似ている部分があるのか否か、彼が本音を言っていないことを指摘する。

「君は死にたくなかったのだよ。私と同様に人類の命運よりも個人を優先させるほど。君の理由は何だ?」

そして、エルヴィンは答える。

「私には夢があります。子供の頃からの夢です。」

何か私欲のためにエルヴィンは戦っている。そのことに気づいたリヴァイはエルヴィンが怪我を負っているにもかかわらず、戦場に行こうとしていることに反対する。確かに、リヴァイの言う通り、人類のためを思うなら怪我をしたエルヴィンが危険な戦場へ行くより、安全な場所で作戦だけ練ってもらうことがベストな戦略なのだ。しかし、「私がやらなければ、成功率が下がる」とエルヴィンは食い下がる。そんなエルヴィンに痺れを切らしたリヴァイ。

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進撃の巨人72話「奪還作戦の夜」より

リヴァイは何としてでも、エルヴィンが戦場へ行ってしまうのを阻止したかったのだろう。
エルヴィンが団長であり続けるために。
目的が揺らいでいる今の状態では戦場に行くべきではないとリヴァイは判断したのだ。(このシーンに関してはラジオで神谷さんがアニメ監督からどういった演技の指示を受けたか事細かに説明してくださってるので、リヴァイの心情理解のため参考にさせて頂きました。)
結局、エルヴィンの口からは「この世の真実が明らかになる瞬間には私が立ち会わなければならない。」と告げられてしまう。しかも、それは人類の勝利よりも大事なことだと。この辺りのリヴァイは今まで知らなかったエルヴィンの一面を見てかなり困惑していることがわかる。

そして、エルヴィンの私欲とは何だったのか、彼の目的とは何なのかリヴァイは戦場で知ることになる。もう、獣の巨人に対抗する手段がなくなり「自分自身と兵団全員の命を捧げるしかない。」と深刻な顔で言ったその時、付け加えてエルヴィンはこう告げる。

「そして、私は真っ先に死ぬ。地下室に何があるのか知ることもなくな・・・・。」

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進撃の巨人80話「名もなき兵士」より

これを聞いたリヴァイ の「は?」からわかるように、彼はエルヴィンの私欲の内容に驚いているのだ。完璧だと思っていたエルヴィンの中には大人になりきれない無邪気な少年エルヴィンがいたことに。
しかし、一方でエルヴィンは心臓を捧げた仲間たちのために、「人類のため心臓を捧げる団長エルヴィン」という「使命」をやり遂げなければいけないことはわかっている。
夢と使命。二つの間で葛藤しているエルヴィンを見て、リヴァイは告げる。

「俺は選ぶぞ。夢を諦めて死んでくれ。新兵達を地獄に導け。獣の巨人は俺が仕留める。」

そして、その言葉にエルヴィンは「ありがとう。」と言葉を放つ。まるで何かに解放されたかのような表情で。彼はリヴァイに夢を諦めろと言われたことで、やっと使命を選べたのだ。本当はそう言ってもらうことを待っていたのかもしれない。彼はやっと「夢を叶えること」から解放されたのだ。リヴァイの選択で…。

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進撃の巨人84話「白夜」より

さらに、この時のエルヴィンの表情と言葉が過ったリヴァイは直前で彼に注射を打つことをやめる。リヴァイも理解していたのだ。エルヴィンが夢と使命の狭間で戦い、それゆえに「悪魔」になるしかなかったことを。だから、夢から解放され、死んで、一度楽になったエルヴィンを生き返らせることはしたくなかった。エルヴィンの意志を尊重して。

進撃の巨人84話「白夜」より

エルヴィンもリヴァイの「愛」によって解放された。ここの「愛」は信頼関係というものだろうか、リヴァイは確実にエルヴィンがいるから兵団に入ることも承認したし、エルヴィンが団長だったから、彼、そして兵団の信念のために巨人を殺すことに尽くしていたと思う。それは、リヴァイが白夜以降、確実に消化試合になっていることからもわかる。(これに関しては、諌山先生も白夜以降のリヴァイは宙ぶらりんな状態ですと証言しています。また、リヴァイ役の神谷さんもラジオで「リヴァイにとって、エルヴィンを失ったことは大きくて、その後はある意味余生みたいなもの」とお話していたました)

白夜以降の彼はエルヴィンとの約束を果たすということ、そして、共に戦ってきた仲間たちの死を意味のあるものにしなければならないことの二つのためだけに戦っている。それほど、リヴァイにとってもあの選択は大きかった。

3.ミカサの愛によって解放された者たち

そして、最後にこの物語の主人公であるエレンだ。

彼は、誰よりも自由を求めて戦っていたが、「自由を求めること」が彼の呪縛になっていた。壁の中にいて、外に出られない。外には海があるんだ!!とアルミンが言っているにもかかわらず。
(ちなみに、アルミンは純粋に外の世界に興味があるのに対して、エレンは元々外の世界自体には興味がなく、外の世界があるのにそれを見れない状況に怒りを抱いていただけなんですよね。だから海に到達した時、アルミンとエレンが抱いた感情は全く別物になってしまっている。)

外には広い世界があるのに、それを見ることができないことに常に憤りを感じていた。その彼の不自由であることへの怒りと自由になりたいという強い意志によって、進撃の巨人という物語が始まったと言っても過言ではない。しかし、自由を求める彼は誰よりも不自由だった。巨人の力によって、過去にも未来にも縛られてしまったエレン。

112話の「無知」で

「ミカサを傷つけることが、君の求めた自由か?どっちだよ、くそ野郎に屈した奴隷は。」

と言うアルミンに対して

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112話「無知」より引用

エレンは苦い表情をする。それまで、アルミンとミカサにかなり冷酷な言葉を必死に浴びせて反論していたエレンだが、この言葉には動揺していることがわかる。アルミンのこの言葉はきっと図星だったのだろう。自由を求めていたにも関わらず、この時のエレンは既に未来の記憶を見ており不自由な状態だった。彼は自由を求めて進撃し続ける性格であるにも関わらず、巨人の力により自由になることはできないのだ。そのような状態では、彼は一生「自由を求める」呪縛からは解放されないだろう。
なぜなら、巨人の力を持っている限り、ミカサやアルミンたちが幸せに生きてほしいと願うのなら、未来の記憶に従って生きることしかできないのだから・・・。実質、生きているうちに、自由になることは不可能である。

そんな呪縛からエレンを解放したのがミカサだ。138話でミカサはエレンの首を切る。彼女はエレンを愛するが故に、彼女自身のエゴによってエレンを殺す。

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このエレンの表情・・・・。
死ぬ前のエルヴィンの表情に似ていないだろうか?「ありがとう」とでも言いたそうな表情。そして、エレンは死んだことにより、やっと呪縛から解放された。死をもって、彼は自由になれた。それを表すかのように139話で、エレンと進撃の巨人の中で自由の象徴として描かれていた鳥を重ねている。(エレンの生まれ変わりかのような演出で)自由になれたということ=自由を求める呪縛からの解放は同じ意味であろう。

「自由を知りたかった少年よ・・・。さようなら。」という煽り文があったように、彼は生きている間には自由になれなかったのだ。それでも、ミカサの愛により彼は解放された。また、キスシーンを描いて明らかにミカサの感情は愛であると示したことにより、「愛がエレンを呪縛から解放した」ことが明確になった。

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そして、ミカサの愛はエレンだけでなく愛の呪縛に縛られてユミルも救った。愛が愛の呪縛から解放するとはどういうことか。

始祖ユミルはフリッツ王を愛していたというが、それは家庭内暴力を受けている女性がそれでも旦那を愛しているというのと同じ感情だろう。私は彼の支え(金銭的な面、精神的な面)がないと生きていけないし、彼も私を必要としている(始祖ユミルは巨人の力を持っていたが故に必要とされていたのだが、、、)だから、私は彼を愛している。という歪んだ感情から生まれる愛だ。この間違った愛の奴隷だった。彼から愛されるため、始祖ユミルは彼のために道で巨人を作り続けていた。それがミカサの愛とその愛が下した決断により、始祖ユミルは、フリッツ王を殺す決断を下し、愛の呪縛から解放されたのだ。

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進撃の巨人89話「会議」より

「愛」によって巨人の力が消えた。クルーガーが道の記憶に影響を受けて言っていたこの言葉通りにになったのだ。愛による救いによって、巨人の力で繰り返された過ちは途絶えたのだ。

ただ、あくまで巨人を利用した戦いが途絶えただけで、人と人同士の戦いが消えたわけではないことには注意しておかなければならない。人間の愛が世界を救う、または愛により争いが完全になくなるという綺麗事ではなく、人間の愛がその人にとって唯一の人を救うということをこの物語では私たち読者に説いている。

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進撃の巨人89話「会議」より

この構図、ユミルの「胸張って生きろよ、、」のシーンに似ているような気がする。

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