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ミルクティーな人生

なんだこの売れないJ-Popみたいなタイトルは。

アイスティーやコーヒーにミルクを注ぐ瞬間に、いつも魅入ってしまう。今日突然、本当に突然、「母に浸食される自分のようだ」と思った。ミルクティーはストレートティーには戻れない。カフェオレも、ブラックコーヒーには戻れない。

なあんだ、どうにもならないじゃん。
じゃあ、仕方ないよな。うん、仕方ない。
もしかして、こういうのを諦観と言うのかしら。

私とあの人は完全に共依存だったし、あの人がこの世から消えたところで、一度混ざったグラスの中はもう元には戻らない。戻れないなら、戻れないなりに生きていくしかないんだなあと思うと、少し心が軽くなった。

そんなのは別に自分だけに限ったことではなくて、誰もが必ず保護者(養育者、身近な大人や社会)の影響を受けて、人は形成されていく。その中心となるものが原家族というやつなのだろう。私の場合は両親と姉が住んでいた実家なのか、幼少期に預けられていた祖母宅なのか。どちらにせよ、怒号と食器が飛び交い、真冬に子供をパジャマで庭に放り出す環境だった。

今日読み終わったのは[聴く技術(高橋和巳)]。自分で自分をカウンセリング(傾聴)できないものだろうかと模索していたところだったのでとてもタイムリーだった。シンクロニシティとは言わないが、本というのはやはり出会うべき時期があるような気がする。

言語化する前の段階の、自分の感情を自分で感じ取る。まさに言語化できないのがもどかしいけれども、最近はこの感覚をつかめてきたように思う。

人間は時間を超えて思考することで過去に戻り、過去を変えることができる。過去が変われば未来が、今が変わる。それに気付くのに年齢は関係なくて、今からでも遅くないと思いたい。ミルクティーな人生、どう変えていくかも自分次第。いいじゃん。いいじゃん。

思考を整理して[ひとまとめの文章]にする練習をしています。気になった歌詞、言葉、出来事など。