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はじめから自分を障害児だと思う子どもはいない~障害の認知について特別支援学級教員が思うこと~

こんにちは。大学院の教科書を読んでいるのですが、難しくて・・・単語レベルで・・・”社会政策”と”社会事業”って何が違うんだ?そもそも時代背景が分からないと読み進められないぞ・・・と、新しい分野に進むという洗礼を浴びています。特別支援学級教員13年目のMr.チキンです。
今日は障害認知について話をします。

テレビ番組で悲しい思いをした子の話

息子が珍しくイベントに参加しました。
それがテレビで放送されました。
”障害のある子”たちにも体験型学習をという取り組みが始まりました。
と紹介されていました。
息子はショックだったようです。

このような相談を受けることが少なくありません。
自分の障害自体や、特性について知ることを障害認知と言います。
このような相談は計画的に障害への認知を進めていきたかった私としてもショックなできごとです。
自分のことを障害児だと思う子はいないので、子どもにとってはとてつもなく大きなショックです。

自身の障害への認知

私たち特別支援学級教員は、学習指導要領の”自立活動”という冊子を参考に学習を組み立てます。
自立活動「2 心理的な安定」に以下の項目があります。

(3) 障害による学習上又は生活上の困難を改善・克服する意欲に関すること
(中略)自分の障害の状態を理解したり,受容したりして,積極的に障害による学習上又は生活上の困難を改善・克服しようとする意欲の向上を図ることを意味している。(以下略)

つまり、特別支援学級教員は、自立活動の学習内容として、保護者と相談をしながら、本人の特性理解を進めていくことができます。
ただし、これは本当にナイーブな話で、幾度もの保護者との個人懇談や電話相談などを経て行っていくものです。そして、必要でないならば行わないこともあります。

なぜ、障害認知が必要なのか

それでは、なぜ障害認知が必要なのでしょうか。先ほどの自立活動の文章の中の

積極的に障害による学習上又は生活上の困難を改善・克服しようとする意欲の向上を図る

ここに尽きます。
例えば大勢の中で学習することが難しいお子さんAがいます。

チキン(以下チ):Aくんは特別支援学級では落ち着いて座ってられるようになったね。
子:うん。でも、交流学級に行くとダメなんだよな。
チ:そっか。特別支援学級と交流学級って何が違うんだろう?
ここで違いをノートに書きだします。
子:あ、人が多いところではソワソワすることが多いかもしれない。
チ:なるほど。どうしてだろう?
ここで人が多いところと少ないところの違いを書きだします。
子:分かった。俺、うるさいところダメなんだわ。
チ:なるほど。そういう人のためにイヤーマフっていう道具があったり、今ならタブレット端末で離れたところから授業を受けられたりするよね。
子:イヤーマフは俺はイヤだな。形があまり好きじゃないかな。

これはうまくいった事例です(フェイクを入れています。)。自分の特性を知ることで、自分に合った学習方法などを選択することができます。障害への認知は自分へのレッテル張りではなく、将来の自己選択・自己決定のために行われるべきだと私は考えています。
なので、障害名を伝えることや、「あなたは障害者だ」ということはほとんどありません。

そもそも、なぜ障害を判定するのか

そもそも、なぜ障害を判定するのでしょうか。昔と今では考え方が異なります。
以前はICIDHという医療モデルの考え方で障害を判定していました。

疾病・変調が社会的不利につながることから、治療の対象とされていました。そのため、「障害」というもの自体が重要視されてきました。
それが、ICFという分類に変わりました

社会モデル・生活モデルとも呼ばれています。生活機能が重視されるため、自身の障害特性を理解した上で、「参加」や「活動」の制約を取り払うための選択を本人ができるようにする必要があるのです。このモデルの場合、障害名や障害自体に重要性はほとんど無く、「特性」というもののみが重要とされるでしょう。
また、「参加」や「活動」のためには、社会のシステム変更が必要な場合もあるかもしれません。つまり、

障害のある人本人が、自身の特性に応じて、環境を調節したり、適切な支援を受けたりするために、障害を判定している

ということを我々は忘れてはいけないのではないでしょうか。

大人は分類するからには責任をもたなくてはいけない

冒頭のテレビの話について。

「”障害のある子”たちにも体験型学習をという取り組みが始まりました。」

きっとテレビ局に悪意はないでしょう。主催者がそのような表現で説明したのかもしれません。
そして、この表現によって、「うちの子も対象かもしれない。」と思い救われる保護者もいるかもしれません。
ただ、一方で「はじめから自分を障害者だと考えている子どもはいない」ということ、「障害自体が問題ではなく、特性に配慮する必要があるだけ」というきめ細やかな視点を、これからの社会は持たなくてはいけないのかもしれません。
では、またね~!

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