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月にタグ付けしたくなる夜

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寝るまえに、ほっとひと息つけるようなお話を集めました。冷たいふとんをあたためる、湯たんぽのようなものでありたいです。
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胸の奥のあたたまり

胸の奥のあたたまり

昔の、よい思い出を掘り起こすと、胸の奥がほんのりぬくまっていい。

昔、わたしは絵のうまい子どもだったと思う。
小学校のとき、クラス全員の前で、先生にほめられたことが、なんどかある。地域のコンクールで、賞をもらったこともある。

運動がまるでだめで、成績もふるわないわたしの、唯一のとりえが絵だったのだと思う。

子どものころは、一日中絵を描いているだけで楽しかったし、毎日描いていると、少しずつうま

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冬と春のはざまで

寒中見舞いは、立春までに送ること。
慣習としては、そういうことになっているらしい。

今朝、伊東屋さんをのぞいたら、寒中見舞いのはがきが、まだ置かれていた。
寒中見舞いのはがきには、雪の結晶とか、かまくらとか、ちょっと寒そうな感じのするイラストが使われていることが多い。
だから、棚のひとつが、薄い水色でおおわれているように見える。

あしたは、立春だという。
こういう老舗の文房具店では、季節にあわ

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永遠の課題、だな

永遠の課題、だな

卵を焼く。

目指すのは、ふわふわでとろとろのオムレツ。

まず、ボウルに卵を3つ割りいれて、菜箸でかき混ぜ、塩、こしょうをふる。
つぎに、鉄でできたフライパンを取り出す。これを、中火で熱する。
そのなかへ、オリーブオイルとバターを、それぞれ大さじ1くらい入れる。

ここまでは、いつもどおり。
もんだいは、ここからだ。

フライパンがよく熱されたら、卵をいっきに、流し込む。
じゃッ、という音がする

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きれいなうそ

朝。
チュンチュ、ピチチチ、とやけに賑やかな鳥の声で、起こされる。

灯籠のうえ、メジロがいるんじゃないかしら?

とうとつに、家主の由美さんの大きな声が、向こうの部屋からひびく。
由美さんが寝ている部屋と、わたしの部屋は、廊下をはさんで向かいにあるのだけれど、音が筒抜けなのではないか、と思うことがよくある。
声の角度からして、布団に横になったまま、喋っているようだが、なんだか力強い。

それに対

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いつものこと

インターネットブラウザを開いて、

明日

で検索すると、

明日 天気

と予測が出てくる。
どうやら、晴れのち雪、みたい。

インターネットブラウザを閉じて、

明日、

とつぶやくと、
かたちのない希望がひろがる。

明日のことはわからないよね。
だから、楽しい。

ひっかけ

かわいいを並べかえると、過去の意味になる。

きのう好きだったバーバパパ、きょうはもう好きじゃない。

去年はすごく気に入っていたTシャツ、今年は、なんだか、着る気がしない。

なんちゃって。
prettierとpreteritのアナグラム、でした。

うっとり

定食屋さんのカウンターにすわって、かべに貼ってあるメニューを見上げる。

メニューは、エビクリーム定食、カニコロッケ定食、鰆の塩焼き定食、煮込み定食など、さまざまだ。

カウンターのなかでは、4人のおばちゃん店員さんたちが、それぞれの持ち場で、一心不乱に、働いている。

野菜を切り、サラダを作っているひと。
注文をとったり、お茶を出したりするひと。
大・中・小の鍋のまえで、火かげんを見ているひと。

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夢から覚める前のあの感じ

お尻のあたりが、すーすーする。
東京駅の改札を出てすぐのところで、立ち止まる。
どこに、落としてしまったのだろうか。
振り返るが、見当たらない。
わたしのしっぽ。

駅のなかは混雑していて、何度も、人にぶつかる。
しっぽがどこにあるのか、わからないまま、広い駅のなかをさまよう。
泣きたい気持ち、さみしい気持ちが、かわりばんこに、やってくる。
しかたがないから、歩き続ける。

そのうち、あれっ、と思

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耳をすますと

スマートフォンの操作音のことが、気になる。

買ってすぐ、箱から開けたときは、キーボードを操作する、カチ、カチ、という音がする。

ひとりくらい、初期設定を変えないひとがいてもいいのに。
この音を街角で鳴らしているひとを、わたしは、見たことがない気がする。

このあいだ、音楽が終わっても、ずっと耳にイヤフォンをさしたままのことがあった。

そのとき、メールが来たので、返信していると、スマートフ

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いまにもこわれそうで

居間に、ぽつんと、バイオリンが置いてある。
だれかが、練習していたのだろうか。

おそるおそる、指ではじいてみる。
パリン、と氷柱が落ちるような、音がした。

狐につままれたような

手袋をなくしたような気がして、庭を探し回る。

コートが木の実だらけになる。

ふと空を見上げると、木の葉が一枚降ってくる。

はじめから手袋なんか持っていなかった、ということに気がつく。