自分がなにを感じたか、言えますか
ある映画のワンシーンについて、若い人とその解釈を語り合った。
すると、その人はなにかを感じていながら、それを言葉にできない状態だった。私が少しずつ導くにつれ、だんだんと「葛藤」「覚悟」「天秤にかける」などの言葉を発した。
そういえば、私自身もまた、ある作品やシーンをどう解釈したか、他人に説明できないかもしれない。
私はそのとき、映画のワンシーンを見ながらメモをとっていた。私は記憶力がとても弱く、どこかに書いておかないとすぐに忘れるからだ。
その人はまったくメモを取らなかった。そのこと自体は問題ではない。でも、その後がちょっと気になった。自分の解釈を話すことに迷い、私のメモをのぞいてしまったのだ。
これはまずい。「べつに筆記試験じゃないんだからのぞいたっていいじゃない」という人もいるかもしれない。
そうではない。そこでのぞけるものは、他人の解釈である。
もしかしたら自分自身はもっと別のことを感じていたかもしれないのに、他人の解釈を先に見ることで、記憶が上書き保存されてしまうかもしれない。
商品の感想を考える前にレビューを見てしまうようなものだ。そしてそれは、きっと私自身が無意識によくやっていることでもある。