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掌篇小説『箱の父』

 父が季節外れの冬眠にはいった。

 本人の老いと、昨年が暖冬だったのにくわえ、このところの変な寒さで、感覚が狂ったらしい。ふつうヒトの冬眠は2~3日で済むものだが、古希を過ぎた年寄りで、タイミングも誤ったとなると、いつ目覚めるかわからず、稀にその儘、永劫の眠りについてしまうケースもあると。

 鼾こそあれど。存外にながい睫をふせ、死躰のようにつめたく真っ白な細面の父を、親族や関係者の男たちと、
「あたしんとこ、毎年なの」
 と云う友人Wの手を借り、ヒト専用の白い段ボール箱におさめ、はこぶ。棺桶などは使わない。死躰みたいだけれど違うから。
 夫は出張なので来なかった。父とはとうに離縁している母と兄は電話で、
「生きようが死のうが」
 とだけ云っていた。父はひとり暮すアパートの部屋で眠った儘いるのを、大家に発見された。
「起きた姿を見たのは二週間前」
 とのこと。

 状態としては、ふだんの睡眠と仮死のはざまといったところだが、『遅れ又はフライング冬眠・長期にわたる可能性有』と病院で診断された人間は、入院をするよりさきに、その管轄の式場で、儀式をあげることになっている。

 身近に冬眠障害がおらず、勝手のまったくわからない私たちにWは、サイケな花柄シャツにパンタロンというラフな格好をしつつも、流石に手際よく、いい式場をえらんで予約したり、手順をイラストつきで書いたりと、何から何まで世話をしてくれた。Wが借りてきたマイクロバスで病院から三時間ほど走ったのち、林道と獣道のはざまのようなところを、ふたたび皆で白い段ボール箱いりの父を抱え、歩く、のぼる、おりる。古来より式に参列できるのは基本何故か男だけなのだが、私は眠り主の嫡女ということで、同行同席を赦されており。貴女は担がなくてよい、と皆云うから、甘えてひとりぼんやり歩く。
 まだ秋口だというのに、枯葉が、顔のパーツを隠せるぐらいおおきな葉が風にふかれ降りてくる。なんかわびしいね、とWに云うと。
「縁起の悪いもんじゃないわよ。要らない葉を散らす、新陳代謝よ。ほら、綺麗なもんでしょ?」
 見あげるとたしかに、枯葉をおとしのこった枝の緑は、まるでゼリーみたいに瑞々しく空の青をほんのり透かし、美しい。風にシャラシャラと揺れ、薄荷にも似た涼しい薫りをはこぶ。
 一方で、地を埋める葉もまた、まばゆいほどの金色にかがやき。照り返された男たち、Wも、父に似ず小人で小肥りな父の兄も、父の将棋のライバルという遠縁のおばさんみたいなおじさんも、誰だかわからないずっと酩酊している風に顔を赤らめ痙攣させたおじいさんも、現世と何処かの境界線をあゆむ存在に思えてくるのだった。父のはいった箱も白さを際だたせ、浮き。
 原色のスニーカーで、地の葉をシンバルのようにリズミカルに鳴らすWは、段ボール箱を左肩で抱えながら、顔をラウンドする髭以外のパーツを枯葉でいないいないばあしながら、
「あたしのアイドルが不倫したってー。さっきゆってた、病院の待合室の、テレビ」
 とか、喋っている。背後には、我々よりちょっと若いか、ネイビーのスーツ姿でひょろっと高い、ちいさな顔におかれた黒縁眼鏡がずり落ちてはきれいな中指で戻す、知人か彼氏か知れぬ人物をしたがえて。Wは彼を黒の顎でさし、
「何か忘れ物とかあったら、彼にゆって。時間戻してくれるから」
 と。え、それって、タイムワープ? 超能力者ですか? と、バスでは面倒でひとことも口を聞かなかったくせに、ずけずけ質問してしまう。彼は私より頭ひとつうえから、やさしく滑舌よい声を降らせる。
「儀式的なことにまつわる場合だけ、時間移動が出来るのです。ただ眠り主の眠る前だとか、葬儀であれば亡くなる前などには、決して戻れないのですが」
「あんた、葬儀とかゲンのわるいことゆってんじゃないわよ。婚儀だったらどうなのよ?」
 夫婦漫才よろしく返すW。
「そこは明確な基準がないのですよ。でも、戻るべき時刻へ戻るようにはなっています、たいていは」
 ほんとうか否か、ためしたい気もしたが、残念ながら(?)忘れ物は思いつかず。
 段ボール箱の空気穴より漏れる、父の鼾。往年より、ボリュームをあげたか。

 日帰りしても良かったのだが、せわしないので泊り、儀式は明朝となった。宿は式場の隣にひとつ。今日の客は私たちのほか一組だけらしい。
「安っぽい式場だと周りを観光地にしようと企む輩が出てくるんだけど、ここはそこいらと徳が違うから、邪なのは寄せつけないわよ」
 と、Wはふとい左の眉をつりあげる。父なら別に、安いとこでもいいんだけど、とは云い返さず。

 宿の温泉の女湯は、私ひとりの貸切。癖のない澄んだお湯ながら、湯舟を囲む岩は赤茶に染まり。上部の曇りガラスには、まだ金色の葉を風に散らす枝々が、幻影みたいに映る。
 式場で、もう一組の『儀式』がどうやら今、おこなわれているらしい。浴場で聴くからか、遥か天より届く風な、それとも姿なく私の前にある風な、不思議な反響。よくある読経や声明による厳かで退屈な類いかと思いきや、ずっと同一曲をくりかえしているものの、なかなかにメリハリのきいたメロディで、独特な節回し、ロングトーンやビブラートやしゃくりあげが、結構な音量で私の鼓膜および躰を振動させる。
「ゆー・ぼん・のー・りん」
「ぼん・ぶー・にーん」
 とか、やや嗄れつつも力づよく、若いか老いているか読めぬ風情で、いつ迄も歌う。踊りもあるらしく、こちらの湯舟をも微かに波打たせるほどに、激しい足踏み。鉦というか、数多の鉢や銚子や盃を箸で叩く、或いは直に打ちあうような不協和音でとるリズム……そういえば、Wの描いたシンプルでシンボリックなイラスト群の端に、そんな類の器が散らばっていたっけか。
……実像は見えずとも、おそらく、この温泉よりもアルコールと異様な熱気が満ち満ちた様相の『儀式』。式場の、イラストによれば袈裟や袴や褌姿、はたまた何故か蛸の着ぐるみに包まれた「そこいらと徳が違う」人々と、眠り主関係者らによる、男たちの。プロスポーツの応援に、心做しか似ている、なんて云ったら怒られるのかな? 勢いあまってか、何か落とすかぶつけるか割れるか溢すか爆発する音も随所に、シンセサイザーで造ったSEよろしく鳴る……
……あれなら、眠っている人間も起きないもんだろうか?
 もし睫をふるわせ目覚め、箱の舟より穏やかならぬ光景を見渡せば父は、何を云うだろう。
「こんなこと、頼んでない」
 とか?
 酒好きだけれど、宴会騒ぎ(宴会じゃないんだけど)は嫌いな父は、少なくとも悦びはしないだろう。
 明日はいったい、どうなることやら。
 男湯の脱衣場かららしいWの、ちょっとアンタ電話あったわよー、と呼ぶ声が、姿なき踊りへのヨイショドッコイとかいった掛け声みたいに、威勢よくものどかに谺し。澄んだ湯に反し綿埃のように積る不安を、僅かに拭えたか却って密度を濃くするか。跳ねをあげ、湯船を出る。

………出たと思ったら、私はアパートの部屋にいた。父の。
 東の窓がまぶしい……時を戻している。黒縁眼鏡に頼んでないのに。
 鍵をかけ忘れたドア、無機質に不可解なリズムで水滴のクリック音を鳴らす流し台、飲みかけのウイスキーと欠けた湯呑、眠る父を抜きとったかたちが朧にのこる簡易ベッドと、埃をうっすらかぶり輪郭のぼやけた箪笥とテレビと冷蔵庫……それぐらいの、部屋。
 テレビも点けっぱなしで、Wのアイドルである男性コメディアンが司会のワイドショーが、ちいさな音で流れている。
「昼から全国的に雨だって!」
 薄っぺらい声で云う。はずれ。昼からあなたの不倫がばれる。箪笥には、ひとつだけ開いた儘の、酸っぱい匂いをはなつ抽斗。幅はあるが奥行きがなく、さっき父のおさまっていた段ボール箱に似ている。父のはいっていない代りに、ジャケット写真の妙に日灼けしたアダルトビデオと、遊園地のゴーカートさえ苦手なくせにもっている運転免許証と、そしてまたも長方体の小箱がある。免許証は明日必要になるとWに云われたか云われないか。
 当然ながら起きて血色いい免許証写真の父は、どうにか愛嬌を見せようとしたか、細面ながらブルドッグの如く垂れた口角を右だけ僅かにあげている。ジャケットのちっとも可愛くない女優の、これ見よがしなおっぱいの隆起に丁度のっかって、ちょっと安堵している風に見えた。
 マトリョーシカよろしく現れた、くすんだ紫の小箱の中身は、何かうっすら判っている。母と離縁する際に持ち逃げした、シンボリックなイラストにもしづらい、私の、臍の緒。
「頼んでない」
 思わず出た声。連想する父の声。遠縁のおばさんみたいなおじさんは私に会うなり、
「あんたとお父さんはオクターブがちがうだけで声そっくり」
 と泣いていた。そんな遺伝も頼んでない。
 部屋の空気を吸うたび、脳内のもやもやした綿埃と本物の埃がまざりあい、いよいよむず痒い。痛い。怠い。眠い。私もいっそフライング冬眠してしまいたい。否、厭だ。
 ともあれ、忘れ物をとりに私は時を戻したのだ。どれなんだろう。抽斗ごと持っていってやるか。

「ゆー・ぼん・のー・りん、ぼん・ぶー・にーん」

 頭をめぐる、覚えてしまった『儀式』のフレーズ。





©2023TSURUOMUKAWA


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