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そのとき私は、夜に向かって飛んでいた/映画「Past Lives」

仮眠のために降ろしていたブラインドを上げると、暗闇の中で水平線が明るくなり始めていた。赤いラインが広がり、漆黒がうっすら青に変わっている。飛行機の羽根に被って見えていたそれは、気がつくと背後に流されていった。

『Past Lives』という映画を観た。12歳の初恋から会わずに過ごした24年の時間を描いている。多くを語らず、登場人物の表情や空気が記憶の引き出しの深くに共鳴する作品だった。

連絡が来るだけで口角があがり、はやく話したくて走り出してしまう感じ。電話の余韻でひとりニヤついてしまうこと。チャットが止まらない夜。けれども突然終わること。どちらかの不安や不満でそれは起こって、一度過ぎたターニングポイントには戻れないこと。あまり長く相手と見つめあうのは危険だってこと。

人生にはあまりに多くの分岐があるけれど、一生にひとつの、今生きている世界しか選べない。じゃあ、どれが幸せなのか。選んだ選択肢は最善なのか。答えのない問いだ。

この映画を観て、自分の初恋を思い出した。いや、淡い初恋というのと違って、初めて好きすぎて苦しいことを知った恋。好きを持て余して、彼しか見えていなかったときのことだ。

その人は私をはじめて恋愛的に受け入れてくれた異性で、私のがんじがらめのコンプレックスを解いてくれた最初の人でもある。だからこそ、私の中にくっきりとその経過の跡を残したと言える。それで離ればなれになって2年は引きずったけれど、今ではなんともないように過ごしている。し、本当になんでもない関係になった。(ほとんど思い出すことがないし、思い出しても心が揺れないとはこういうことを言うのだろう。)

今のパートナーが私を陽当たりのいい恋愛に連れ出してくれた人だとすれば、はじめての彼は恋愛の波を教えてくれた人だった。激しく始まり、そして急速に終わっていく。楽しい思い出ばかりではなく、いつも伝え損ねたなにかを抱えているような時間。もちろん、温かいものを教えてくれた人だ。でも好きだと言う感情に溺れて知った、欲望、焦燥、妬み、孤独は深かった。彼自身というより、その伝え損ねた気持ちにこそ、未練が残っていたのかと今では思う。

陽当たりのいい場所でのびのびと過ごす方へと導いてくれた人とは、今でも続いている。伝え残すことのないようにと、以前よりずっと気をつけているからかもしれない。

映画の中では、大人になってからの彼女とパートナーの会話のシーンが印象的だった。彼女の深くまで理解するため、言語を学ぶという夫。ふたりのコミュニケーションのための言語である英語には、どちらも全く問題はない。それでも彼女の知りえない部分を知りたいと努力することが、私にはとても深い愛情に見えた。

恋愛という概念の中で、感情に振り回されたり、それを1人で飲み込んだりする夜はある意味美しいけれど、生活にするには難しい。一時の恋ならいいけど、共に過ごしたいと思ったときに、人は何を選ぶべきなのだろう。なぜそれでもなお、愛してくれている人を不安にするようなことをするのだろう。

朝の光が背後に流れてもう手が届かなくなった。光をこえると、そこは闇。私たちはときどき、こうして夜に飛び込んでしまうのかもしれない。気づいたら明るい場所に背を向け、流れるままに進んでいることが。それが恋愛なら、きっと深く潜ることになるだろう。もしかすると、何かを得ようとして別の大切なものを失うかもしれない。

それが正しくないとは私は言わない。何が正解かなんて結局わからないから。けれども、幸せとか愛とか、そういうものを静かな視点で見つめ直せる映画だと思う。


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