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【33日目】ジンセイの『正解』はコレだ!!(ジンセイのトリセツ)

◆他人を『許す』ための具体的な「やり方」

 モトの話【上級編】の最後に、他人のすることを『許す』にはどうしたらいいか? という話をしています……だのに「宇宙の終わりがどうのこうの」とか「うにのトゲがなんちゃらかんちゃら」とか……ちょっと複雑な話をしていると思います。

 入門編でも書いたのですが(ABC理論のあたりです)、この辺の「複雑な事情」を理解することでしか、本当に「他者を許す」ことができないんです。なぜなら『許す』という動作の元は自然なココロの動きに反する「【アタマ】の働き」だからです。ココロがイヤがる「モトの流出をそのまま止めないでおこう」という「考え」がないとこの『許す』動作ができないんでしたね。

 そのために、僕たちの『命の本体』である「うにの気持ち」を理解する必要がある、という話なんです。そしてその結果として前回の最後に書いた

『他人がすることは、自分がするかもしれないこと』

というシンプルな結論が導かれるわけです。だって、本当に相手は「自分の一部」なんですから。

 ですから、他者を『許す』動作をするときはさきほどの

『他人がすることは、自分がするかもしれないこと』

と、まずは【アタマ】で考えてほしいんです。
 そしてそのあとに、中級編で書いたあの『愛の問いかけ』

『今もし私が【愛の状態】だったら、何をするだろう?』

【17日目】恋愛編まとめと『愛の問いかけ』(レンアイのトリセツ)

これを続けてみてください。愛とは【モトの量】でしたね。もし今ココロがモトで満たされていたら、どう行動するだろう……と、これまた【アタマ】で考えるんです。
 この二つを利用すれば、自分がその場ですべきことを『選びなおす』ことができるはずです。

 『選びなおす』ことは『あきらめる(明らかに見極める)』ことに繋がります。そして『あきらめる』ことは『許す』ことに繋がるはずです。ですから

『相手がしてくることは、自分がするかもしれないこと』
   ↓
『今もし私が【愛の状態】だったら、何をするだろう?』

この考え方のコンボが『他者を許す』ための究極のツールになるはずです。


◆「許せない」ことを『許す』

 こういう話をすると
「でも、許してはいけないこともたくさんあるでしょ?」
ということを言われます。そのとおりです。
 何もかも許すのはとても難しいことですし、許すことがお互いのためにならない、という判断もあるでしょう。そういうときはそう『選びなお』した、ということです。それでいいと思います。

 何かを許さないと決める、というのも、判断の一つです。要は、その判断を下すときに

【愛】

というものを基準にすればいい、ということなんです。
 繰り返しますが、愛はモトの量です。もし今、自分のココロがモトで満たされていて、とても落ち着いているんだとしたら……その時何を考え、どう行動するだろう……という「想像」をしていただきたいのです。

 僕たちのココロは『モトが増えると幸せを感じる』構造をしています。【愛】からもたらされた考え・行動は必ず『正解』にたどり着くはずです。

 たとえば……初級編で「怒り」について書いたとき『怒ると叱るは違う』と書きました。怒っているときは単純にモトが減っています。ですが「叱る」というのはこちらのモトを相手に分け与えながら「怒っている顔を見せる」という理知的な判断(アタマの働き)です。
 愛に基づいた行動、というのはこういう感じで起こるものなんです。


◆キライなものを【愛する】チカラ

 ですから……大事なことなのでよく聞いてくださいね。

 キライなものを、キライでいるまま【愛する】ことは可能です

 なぜなら『愛はモトの量だから』です。愛というのは好き嫌いとは関係ないところにあるんです。ココロがモトで満たされている状態で、キライなものとそれなりの接し方をする、というのも『愛』ある行動の一つです。
 そもそも、僕たちには【好き嫌いゲージ】というものがついているんです。それはこの世界にあるものを【好きか嫌いか】(=モトを増やすものかそうでないものか)に分類するためです。それが「うに」の目的だからなんです(「うに」はモトを最大まで増やすことを目的に存在しています)。

 だから、何かをキライになることを恐れないで。それを無理に好きになる必要はありません。『愛する』こととは別のことです。

 「うに」というのはね……実はモトのカタマリなんです。僕たちのココロはモトでできてるんでしたよね。当然、その元になっている「うに」も、全部がモトでできているんです。
 つまり「うに」は『愛のカタマリ』なんです(愛=モトの量)。その「うに」が僕たちに対して絶対守っているスタンスが、前回書いた「見守ること」なんです。
 「うに」は『何も知らない状態で地獄に生まれてしまう』僕たち自身に、この世にあるものを『好きか嫌いか』、つまりモトを増やすものか否かで分類させたいと思っているんです。だから、手出ししないようにしてくれています。実際にああしろこうしろ、ってうにから指示が来ることってないでしょ? 本当の愛は見守るものなのですね。
(まれに僕たちは「虫の知らせ」「夢のお告げ」のようなものを受け取ることがあるらしいですが……もしかしたら時々ちょっと僕らを助けてくれているのかもしれませんね、「うに」)


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 というわけで、上級編全体の結論として

 僕たちはその構造上、「うに」の目的である【モトあつめ】をすることを意識して暮らせば幸せに生きていける

ということがジンセイの正解だ、となります。真実というのはとてもシンプルなんです。

 上級編の知識をしっかり活用して、他者を許し、そして誰より自分を許して、ココロを『愛の状態』に保つことで幸せな「モトあつめ」をやりましょう!


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「ニンゲンのトリセツ」著者、リリジャス・クリエイター。京都でちまちま生きているぶよんぶよんのオジサンです。新作の原稿を転載中、長編小説連載中。みんなの投げ銭まってるぜ!(笑)