「大切なもの」に失ってから気づく愚か者

人生において本当に大切なものや自分の中の優先順位について意識化しておくことは重要だなと思っています。日頃の生活を振り返ってみれば、必ず大切にしているもの・価値観や優先順位というものはわかるはずなのですが、なかなか意識的になっていることは少ないのではないかなと思います。先日書いたまずは半径3m以内の人を幸せにという記事にもあるように、今の私にとってとても大切なものは身近な人とのあたたかい人間関係を築くこと、維持することだったりします。あともう一つは自らの健康、体調管理についてです。

大切な家族や恋人を失った時に「もっと大切にすれば良かった」と後悔したり、失ってから本当に大切なものに気づくケースというのは多々あると思います。健康についても同じことが言え、重篤な病気になってから「もっと健康に気を遣っていれば良かった」と思う人も多いと思います。こういったことは誰しも経験があるもので、そこでしっかり気づいて人生を立て直すことができるかどうかがその後の運命の分かれ道なのかなと感じます。失ったものは小さいほど、傷が浅いうちに気づくほどその後が生きやすくなるもので、いかに早いうちに気づけるかが重要ですよね。とはいえ人間は愚かなもので、自らを振り返りもせずに何度も同じ過ちを繰り返してしまったりもします。

一番愚かな考えは「当たり前」と思ってしまうことだと思います。家族や恋人、友人がいるのが当たり前、健康なのが当たり前。当たり前だと思うとろくに気を遣ったりしなくなり、失うリスクが上がるものです。あとは快楽や欲望の虜になってしまっても、「当たり前」を失うリスクが上がるように思います。本当に自分を幸せにしてくれるものは何なのか、生きる上で大切なものは何なのか、ということに意識的になるほど、人生の輪郭がくっきりはっきりしてくるし、世間の戯言に振り回されず、自分の人生を歩んでいけるようになると思っています。現在の私自身は、大切な人との人間関係と自らの健康という二つの柱があるので、何か選択に迷う場合でもその二つに立ち戻ることができるようになりました。

私自身、今でも愚か者ですがさらに愚か者だった頃は、本当に大切なものに気づけていなかったと感じますし、人生における優先順位も今とは異なっていたように思います。昔から正義感と規範意識が強く、快楽や欲望に溺れる傾向はありませんでしたが、自らの無知ゆえに精神安定剤を服用して心身を壊したり、愚かさゆえに大切な人が離れていってしまうこともありました。仕事ばかりを大切にするあまり家族に逃げられたり、一回の出来心で恋人を失ったり、お酒やたばこなどに溺れるあまり健康を害したりと、失ってからその大切さに気づくのでは遅すぎることも多いと思います。それがなかなかできないのが人間の愚かさであり、「失ってから気づくのでは遅い」としっかり腑に落として生きるのが本当に賢い生き方なのではないかなと感じます。

私の生き方そのものがリスクヘッジ的で、予防線を張りながら日々を生きているので余計そう思うのかもしれません。自分でも不安や恐れが強い人間だなという自覚があり、その生き方が自らの首を絞めることもあるのですが、リスクヘッジをしてきたからこそ免れている災難というのもあり、良い面悪い面あるよなぁと思っています。自分の中に「大切な人を失うのが怖い、健康を害すのが怖い」という意識がまだまだ根底にあるので、その恐れと向き合っていきたいなと感じます。後先考えずにその場を楽しむのも、たまにははめを外してみるのも、やりたいことに全力で打ち込むのも良いですが、大切なものに失ってから気づくという愚かな事態にはならないように、ほどほど適度に楽しんでいきたいものですね。

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