「無秩序なまちづくり」と通販の活況

私は割と家で独り言を言ってしまう方で、noteを書くときもぶつぶつつぶやきながら書いていることが多いのですが(笑)、最近よく浮かぶキーワードが「まちづくり」なんですよね。家ではよく「日本はまちづくりが問題なんだ~」と頭を整理するために喋っています(笑)。保育園の待機児童問題などがクローズアップされるときは特に都市の一極集中問題が話題になりますよね。私も日本のあまりにも無秩序なまちづくりが、あらゆる問題を引き起こしているんだなということがよくわかるようになりました。もちろんそれは日々書いている人間の「身体性」に大きく関わる分野です。

「無秩序なまちづくり」は身体性を無視する人々の意識の結果だと思うので、誰が悪いとかそういう話をしたいわけではありません。駅前はどこへ行っても同じようなチェーン店、高層ビルの乱立、大型マンションを建てても保育園は建てない、利便性の悪い道、その他いろいろ…。宅建の勉強をしたので建築系の用途地域の勉強などもしましたけど、あれは都市計画で決められた用途地域によって建てられる建物などに制限があるだけで、計画的な「まちづくり」をするためにあるものではないな、と思っていました。都市計画道路予定地などもありましたけど、交渉、収用とか大変そうで「何年かかるのこれ…退職するまでに完成しないっしょ」みたいな計画でしたしね。ただ、行政の一職員として働いた経験から言っても、この仕組みを変えることは不可能と感じましたし、行政主導のまちづくりなんて無理だわ、と心底思いました。

箱モノを庶民で整えるのはなかなか難しい面があるので、現実的にできそうなことはやはりソフト面の取組なのかなと感じます。私の基本的考え方は大企業から個人店へシフトする方向性なので、多くの人が地域の個人店を利用するようになるとその地域の商店街などが活性化して活気がある町になると思うんですよね。チェーン店ばかりの商店街ってやっぱりつまらないし、没個性化していく一方です。個人店だけが軒を連ねる商店街ってなんか江戸時代っぽくないですか(笑)。超ローカルな話題をすると、私が住む東急東横線のエリアだと、元住吉のブレーメン通りとか、白楽の六角橋商店街とか、割と活気ある商店街があって、「人がにぎわってるとやっぱりいいなぁ」と思うんですよね。チェーン店も結構ありますけど、それでもシャッター街みたいな感じでは全然ないですし、人がわいわいしているとエネルギーも活性化する感じがあって、商店街が元気な町って良いな~と感じました。

私は別ブログGreen Cosmoでオーガニックのカフェ・レストランを巡って食レポ記事を趣味で書いているのですが、40件近くお店を巡って気づくことは、チェーン店よりも個人店で店員さんと気軽におしゃべりしたりできる雰囲気のお店の方がまた行きたいな、という気持ちになる、ということです。私は割と人とのコミュニケーションを楽しみたいタイプなので、その辺りは人によるかもしれません。地域になじみのお店があると、その町に住むのが楽しくなる感覚ってありませんかね。ドラマなどを観ていても、必ずと言っていいほど登場人物がよく行くなじみのバーや居酒屋の存在がありますよね。人間関係に直接絡まない本音を言える場所、みたいな象徴なのかもしれません。

このことは、通販&物流問題に見る「身体性」の壁の記事にも関係する話だと思います。町でモノを買わなくなり、通販で買うようになったのはなぜか。単に利便性が良いということはもちろんあると思いますが、どこへ行ってもチェーン店の画一的な対応を受けるなら別に通販でいいじゃん、と思うようになった、ということもなくはないと思います。町での購買に、物理的にモノの所有権が移転すること以上の価値がないということ。であれば、ボタン一つで家まで届けてくれる通販の方が良い、という発想はあると思います。結局は、地域や町全体のあたたかいコミュニケーション不足みたいなものが、人々を通販に走らせているという無意識領域での判断があるのではないでしょうか。何を重視して住む場所を選ぶか、それが大きな肝になるのは今も昔も変わりませんが、「地域や商店街が元気かどうか」という判断基準を新たに加えてみても良いのかもしれません。

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