働く上での「個性」と「社会性」

今日はアルバイトで、幸運にも小さい子を持つ保護者様を対象としたワークショップに参加させていただく機会を得ました。「自然」や「子育て」というのは私の短い役所人生で経験した職場における重要なキーワードであり、しかもその二つは切っても切れない関係にあることを今になって再認識しています。いかに子どもに小さい時から本物の「自然」に触れさせるか、五感を使った遊びをさせるか、というのは子どもの情緒や健康面でもとても大切なのは、言うまでもありません。

ワークショップの中で、子育てをする上で「個性」と「社会性」をどのようにとらえるか、ということをテーマに参加者のみんなで考えてシェアするワークをしました。あまり普段考えたことがなかったので、うーん…、と思いながら、「個性」には「流されない、他人の目を気にしない」、「自己主張できる」、「発想が独特」、「他の人と比べてすごく得意なことがある」と書いてみました。「社会性」には「モラル、ルール、規範」、「常識に従う」、「他人とのかかわり方」、「空気を読む」、「横並び教育」、「協調性」と書きました。他の人のとらえかたもシェアしつつ、最後のまとめとしては、「個性」も「社会性」も重要なファクターで、どちらを優先するかは悩みどころ、迷った時によりどころとなる子育ての「軸」を持ちましょう、というような内容でした。参加者の方々も、うーん、と悩みつつも、最後にはご自身の軸を見つけることができたようで、実りの多いワークショップだったのではないかなと感じます。

今回は子育てに関することでしたが、私たち大人の社会生活においても、「個性」と「社会性」というのは常に降りかかる要素としてあります。私の感覚ですと、会社や役所などの組織においては、こと「社会性」の部分が重要視されているような感覚が否めません。大人になるにつれて「社会性」が求められることの方が多くなる気がしますし、それはつまり、大人になる=社会的な人間になるということを表しています。「子どもの個性を伸ばそう」という教育の提言(?)は近年よく聞く価値観ですが、それもあくまでも決まった枠という「社会性」の中での「個性」であり、その枠をはみ出すものは矯正される対象であったり、大人になると「適応障害」などの病名をつけられ、やはりはみ出し者なりの人生を歩むことになることが多いのではないでしょうか。

私たちの「個性」をむしばむ「社会性」とは一体なんなのでしょう?毎日占星術の話題で恐縮なのですが(笑)、ホロスコープの概念を知るようになると、本当に一人一人全く違う青写真が浮かび上がってくることがわかり、一人一人が本当にかけがえのない存在としてこの世に生まれてきていることがよくわかります。同じ役割を持って生まれている人はただの一人も存在しないのに、世の中の多数の人が、学校を卒業したら雇われてサラリーマンになって家庭を持って住宅ローンの返済に追われ身を粉にして働く…という人生を送っている現状があり、そりゃあ不満も出るし、うつや体調不良になる人が続出するだろうな、と感じます。「こんな人生を送りたかったんだろうか…?」と多くの人が魂レベルで違和感を感じているからこそ、様々なところに不調和を生んでいるのだと思います。

と、また偉そうなことを書いて恐縮です。ここで、私自身の「個性」の捉え方を少し書いてみます。ワークショップでは一般的な「個性的な人」の印象を書いてみましたが、本質的な意味での「個性」というのは、他人と比べてどうのというものではないと思います。一流のプロとして輝くことが「個性」とも思いませんし、周りから浮いている人が「個性が強い」とも思いません。いつも同じことを言うようで再度恐縮なのですが、その人が一番「調和」した状態、つまりは「生まれてきた役割通りの人生を歩んでいる状態」というのが、その人の「個性」が一番発揮された姿であり、「個性が輝いている」姿だと思うんですね。例えば、その方が今回の人生では専業主婦で徹底的に子どもと向き合い、子育てにものすごく注力しようと決めてきた場合、世の中にとりたてていわゆる「個性」というものが発揮されていないように見えるかもしれません。しかし、その方が毎日楽しく充実していて、子どもとたくさん過ごせて愛をめいっぱい注ぐことができて本当に幸せ!と思えているのであれば、その方は「個性を最大限輝かせる」人生を送っている方と言えると思うんですね。世に出て何かを発表するとか、目立つとか目立たないとか、そういうことばっかりでもないと思うんです。

そういう意味では組織で働くことが必ずしも悪いとかそういうことでもなく、組織の中だからこそ生き生きとできるとか、多くの方をまとめる力を発揮できるとか、いろんな方がいらっしゃるからこそこの世の中は成り立っているわけですよね。繰り返すようですが、重要なのはその方が「調和」しているかどうかであり、日々満足して組織で働く分には何も問題ないと思うのです。もちろん個人事業主でも「合わない」と思いながらやっている方もいることでしょう。ただ、私の肌感覚では、組織は往々にして組織の論理が最優先され、私たちの「個性」なんてないも同然、労働奴隷、コマとしてしか扱われていない現状があると思っています。そして、しつこいようですがそのことこそが、宇宙レベルでの損失であり、非常にもったいないことだと日々感じるのです。

「社会性」って「個性」と相反する概念のように思うのですが、みんなが「個性」を押し殺すことではないと思うんです。一人一人が「個性」を最大限に発揮できる状態こそが、真に「成熟した社会」の姿であり、自分の「個性」や「役割」を把握し、それを社会で発揮している人が「社会性のある人」と言えるのではないでしょうか。もちろん現代の解釈と異なるのは承知の上で書いてます。そういう意味では、常識やルールにとらわれて「個性」、「役割」を発揮できないでいる人は従来の「社会性」を重視するあまり「社会性に欠いた人」とも言えるのかもしれません。

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