頭で考えても「個性」は出ない

私たちは「個性を大事にしよう」と口では言いながら、同調圧力が強く個性を押し殺すようなダブルスタンダード的な世の中に生きていると感じます。特に集団、組織においては没個性的であることが望まれ、物言わぬロボットであることがよしとされますね。以前に働く上での「個性」と「社会性」という記事を書いたことがありましたが、多くの方がその両者の葛藤を経験したことがあるのではないかと感じます。

人は誰しも、自分は他人とは違う個性があるし、それを発揮していきたいという欲求があると思います。社会に揉まれながら自分の人生と向き合うにつれて、自分の個性って何だろう?とか、自分にしかできないことはなんだろう?とか、20歳そこそこの就活の時よりも深いレベルで自分というものを見つめ直す人も多いと思います。noteをお読みくださっている方はおわかりかと思いますが、もちろん私もその一人です。日々周りで巻き起こること、目に入る情報に影響を受けながら、自分とは何かということを深く見つめている感じです。

こうした日々を過ごす中で気づいたことがあります。それはタイトルにもあるように、頭であれこれ考えているうちは「個性」は出ないんだなぁということでした。頭で考えるというのは、主には他人からの評価やお金、仕事という観点を重視するという意味合いが強いです。他人から受けそうか、人気が出そうか、仕事として儲かりそうか…そういったことを考えているうちは、どうしても没個性的になったり、本当の本当の意味での「個性」といったものは出てこないのだと感じました。私たちの「個性」を阻むもので一番大きいと感じるのは、「他人からの評価」です。おそらく多くの方が無意識のうちに他人からの評価を計算していると思います。しかしそれこそが一番不要な概念であり、早いうちに捨てた方が良い観点のように感じます。

「こういうことをすると個性的なのではないか」とか思っているうちは個性的ではないということです。他人からの評価を無視して、それでも無意識的にやってしまうことや、どうしても気になるとか仕事にはならなそうだけどやりたいとか、そういうところにヒントがあると思います。私たちはあらゆる条件付けに縛られていて、ハートからの素直な欲求を、あーだこーだと頭で理由をつけて否定したり、見なかったことにしたりしてしまいがちです。なぜそうなってしまうかというと、これまでにも散々書いてきたとおり、現代はSNS社会でPV数やフォロワー数などを競わされるような土壌があり、無意識のうちに「人気者であるのが良い」「有名であるのが良い」という概念を植え付けられていることが大きいと思います。

たとえば、SNSで個性を出して人気者になろうとする人もいるかもしれませんが、「SNSで個性を出して人気者になろうとする」時点で没個性的な発想という矛盾がありますよね。「人気者になろうとする」ということは他人の評価を気にするということなので、どうしても没個性的になると思います。個性的でありたいと思うなら、「人気者になろうとする」ことをまずやめないといけないということですね。私自身も、他人からの評価とか仕事になるかとかどうでもいいやと思うようになってから、他人には全く受けそうもない、そして仕事にも結びつかないジャンルが本当に好きで勉強したいということに気づけたので、やはりその概念から離れられたのは良かったなと思っています。私たちがこんなにも他人からの評価を求め、気に病むようになってしまったというのはネット社会、SNS社会の影響が本当に大きく、最近では便利さよりも生きづらさの方に焦点が当たるようにもなってきたと思います。本当に自分らしく個性的に生きたいのであれば、「他人からの評価」という重くのしかかる概念を手放していく必要があるとつくづく感じました。

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