「知識」を「知恵」に変えてゆく

知識・情報・インターネットや知恵・賢さ・教養などについて考えるシリーズをなんとなく始めていこうと思います。以前にも「知識偏重型」って本当に問題なの?という記事に、知識を詰め込むことは悪いことばかりではないという持論を書いていますのでよろしければご覧ください。ここ数日は「知識」と「知恵」ってどう違うんだろう?とか、「教養」ってどうやって身につけるんだろう?「教養」って何だろう?ということを一人で考えていました。

辞書的な意味はさておき、私の感覚で書いてみます。「知識」は単に知っていること、そして「知恵」には実践とか活用といった要素が含まれてくるのかなという認識です。生活に活かしていくことだったり、自分なりの経験や他の分野の知識と組み合わせてより抽象度を高めることでもあるのかなと思います。たとえば「おばあちゃんの知恵」というような、昔から家庭で行われてきた民間療法などがありますよね。熱が出た時に梅干しや梅酢を食べるとか、ねぎを首に巻くとかいろいろあります。それはおばあちゃんが色々と試行錯誤した結果得た「知恵」であり、そこに行きつくまではおそらく何倍ものいろいろな食材を試した経緯があったろうし、おばあちゃん同士で情報交換しながら、何が効く何が良いというものを探っていったのだと思います。それは現代の薬のもとでもある薬草やハーブの効果・効能を探る歴史ともほぼ同じようなものでしょう。

熱に梅干が良いと聞いた別のおばあちゃんは、梅干しを黒焼きにしたらどうか、とか同じ酸っぱい果物なら効くだろうか、と考えたかもしれません。この場合「熱に梅干が良い」というのは「知識」に当たると思います。そこから別のおばあちゃんなりに、黒焼きにしたり、リンゴ酢を試したりし始めて、新たな発見を得たとしたら、それは「知恵」なのかなと思います。黒焼きの方がよく効いた、とか、リンゴ酢でも効果は同じようだ、とか、「知識」をもとに試すことでわかることはあると思うのです。そういえば、風邪を引いた時にりんごを食べたら調子よくなったこともあったからリンゴ酢でもいけるのではないか?とか色々考えますよね。わかりやすく例えると、それが「知識」が「知恵」に変わる瞬間なのかなと思います。

そして、その別のおばあちゃんが「熱にはリンゴ酢も良い」と言ったとしたら、今度はみりんでもいけるのではないかと試す人が出てきたりするかもしれません。「熱にはリンゴ酢も良い」ということが経験上わかってきたとすれば、それは新しい「価値」になると思いますし、「熱には酸っぱいものが良いのかもしれない」という仮説や新たな知見も得られるのではないでしょうか。今のように科学技術が発達していなかった時代は、経験ベース、帰納法的に「知恵」を編み出していくような習慣がもっと日常にあったのかもしれません。

先日はセンター試験でした。文系の歴史科目などは特に、単なる暗記問題が多いです。「今の時代、知識なんて検索すればいいんだから覚える必要はない」という意見もあると思います。確かにそれも一理あります。ただ、世界史・日本史など個々の科目の是非はさておき、「知識」は必要なときにその都度検索すればいい(から覚えなくて良い)という認識には疑問を感じます。「知識」の幅が検索の幅を広げるということも確実にありますし、何か困ったことがあったときに、いつかどこかで得た「知識」が頭の片隅に浮かんでそれらを結び付けて活用する、ということが往々にしてありますからね。梅干しが身体に良いという知識と、りんごで回復したという経験があり、ならばリンゴ酢はどうだろうという思考回路が生まれるということ。もしかしたらリンゴ酢が一番効能が高いかもしれないのです。

そのときは何の役にも立たない、と思えるような知識でも、あとあとどこかで役に立つかもしれないので、「あの勉強は無駄だったな~」とかジャッジするのは常に早計だと思います。文系から理転した人でなければ思いつかないこと、金融の知識が農業に活かされる、などなど組み合わせは無限にあると思います。そして、その人の人生の目的といったものは、今までの人生で得た「知識」や「経験」の中にヒントがあるのではないかと思っています。宇宙の采配は完璧なので、その目的を達成するために必要な知識、経験を身につけられるような人生を歩んでくるものです。昔そういえば昆虫博士だった、理系学部だけど本が好きだった、文系だけどMRになった…人それぞれの「知識」や「経験」を棚卸しすることで、新たな「知恵」、「価値」を創造するためのヒントが得られるかもしれませんね。

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