食べ物の強要は、ほぼ「暴力」

他人と生活を共にする上で、食の嗜好、食事に関する思想というのは非常に重要だなと感じます。以前に通っていた自然食品店の方からも、お母さん・奥さんは食べ物に気を遣う人が多いけれど、ご主人はまったくもって無頓着で価値観が合わないと言っている人が多いという話を聞いたことがあります。世の中を見渡してみても、女性の方が健康・美容・ヘルシー志向で、野菜や玄米、オーガニックなどに興味を持つ人が多いと思います。お母さんになると余計、お子さんの食事などに関心を持つ場合も多そうです。

私自身、消化器系が弱いということもあって、できるだけ消化器の不調になりうる要素を減らしたいと、食べ物についてはいろいろ勉強してきました。勉強してわかったことは、「万人に良い健康食事法というものは存在しない」ということでしたが、それでもある程度知識があると「これは食べない方が良いな」と避けることができるものもあるので、学んで本当に良かったと思います。今は軽視されていますが、学生時代に栄養や食事についての詳細な学びは絶対に必要だと感じました。一人暮らしの時は食べ物の自由があったので、そういう意味では本当に過ごしやすく、自分の食事を自分で管理できる喜びを感じていました。というよりも、そもそも実家の食生活があまりに合わないので、一人暮らしをしたいと思うようになった、というのもありました。

前回の他人からは「苦行」、本人は「喜び」という記事に、以前に食事についてストイックに制限していた時期があったということを書きました。体調不良だった頃に一度高いお金を出して詳細な血液検査などをしたことがあり、その時に卵の遅延性アレルギーが発覚し、一時期卵を抜いていたこともありました。乳製品も自分の身体には合わないことがわかり、今でも卵も乳製品もあまり好んで食べません。それでも頭が固い親には、「卵も乳製品もバランスよく食べないと」などと言われ、ため息が出ることもあります。食べ物のことは本当に本当にセンシティブで、それによって病気や不調になることもあるので、うかつに人に勧めたりできない領域だなとつくづく思います。

食べ物をめぐる言説は様々で、商業ベースで流行らせるために「健康に良い」といった情報が流布することも多々あります。食べ物については考慮すべき観点が多すぎて、勉強しても、いや、するほどに「本当によくわからない」となるのがオチです。どんな食べ物を食べるかというのはその人の生き方、思想が如実に出るなぁと感じます。とにかく安ければいいのか、ベジタリアンなのか、マクロビなのか、オーガニックなのか、MECなのか、糖質制限なのか、発酵食品なのか、ローフードなのか、バランス重視か、同じものだけ食べるか、飲み物だけなのか、不食を目指すのか…。食の多様化とインターネットの発達、すなわちグローバル化により、食に関する情報も錯綜し、混乱を極めているように感じます。選択肢と情報が増えるほどに、自らの感覚を研ぎ澄ませ、有用な情報を識別する能力が必要なのだなと思いました。

子どもの好き嫌いも、矯正する必要はないと思っています。矯正するということは「なんでも好き嫌いせず食べるのが良い」という思想があるからで、その思想が正しいかどうかはわかりませんからね。食べたがらないということはその子には合わないのかもしれません。必要な量も人によって違うし、人によっては合わないもの、隠れたアレルギーもあります。自らの思想に基づき他人に食べ物を強要することは、ほとんど暴力、虐待と言ってもいい行為だなと思うようになりました。私自身も、他人の食に関しては口出しせず、するとしても最低限の情報提供くらいにとどめようと思います。

オフ会リクエスト募集中~→オフ会・イベント情報

note過去記事一覧はこちら

ホリスティックな健康をサポートするGreen Cosmoのページはこちら

「note見た」で友達申請→村上遥のFacebook

Twitter再開しました!→Twitter

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?