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ドストエフスキーの「カラマーゾフの兄弟」について


今回はカラマーゾフの兄弟についてです。言わずと知れた不朽の名作で、僕は既に3、4回くらいは読んでいます。

結構挫折する人が多いらしいのですが、プルーストの「失われたときを求めて」やジェイムズジョイスの「ユリシーズ」に比べると断然読みやすいと思います。読みやすいというのは理解しやすいということではなく、分からないなりにも読破するハードルは高くはないという意味です。

偉そうに文学通ぶりましたが、正直に白状するとカラマーゾフの兄弟の素晴らしさを言語化することは今の僕には出来ません。まだこの小説を人に語れるほど消化できていないのです。

定期的に読み返しても、わからないことだらけです。小林秀雄がこの小説を完璧な小説だと言った理由がよくわかりませんし、高野史緒がフョードルを殺した真犯人はアリョーシャだと主張したら「えっ、スメルジャコフが殺したんじゃないの」と混乱してしまう始末です。

ですが、僕の敬愛する村上春樹が自分が最も影響を受けた小説を3作挙げていますが、そのうちの1作にカラマーゾフの兄弟を挙げていること、またカラマーゾフの兄弟は続編が書かれるはずだった未完の作品であるにも関わらず世界文学の代表作であること、こうした事実があるので、たまに無性に読みたくなってしまいます。

ドストエフスキーのどこが好きかと誰かに尋ねられたら、悲惨な場面でもどこか喜劇めいた雰囲気が醸し出されるところが好きですと僕はお答えします。大袈裟な台詞回しや狂人めいた登場人物の様子を描写して、どこか茶番めいた空気感を出すのがドストエフスキーは本当にうまいです。ドストエフスキーの小説の登場人物たちはそういったことから本当に人間臭さが滲み出ています。

カラマーゾフの兄弟でも、もちろんそういった場面が数多くあります。例を挙げると、ミーチャが逮捕されて連行されるまでのシーンや、アリョーシャがカテリーナに頼まれて元二等大尉であるスネギリョフの元を訪ねるシーンなどが、それに該当します。

どの訳で読んでいるかというと、新潮文庫の原卓也さんの訳で読んでいます。初めてカラマーゾフを読んだのは光文社の亀山郁夫さんの訳です。読みやすくはあったのですが、なんとなく肌に合わなかったので、他の方の訳で読もうと調べました。その結果、原卓也さんの訳が素晴らしいとあるブログで紹介されていたのでそれ以来は原卓也訳で読んでいます。

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