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インド物語-デリー⑤-

どんなところにも約束事というのはある。いつから始まったのか誰にもわからない昔の約束事がまるで時間の影みたいに私たちについてまわっています。

デリーでもいくつか約束事をみました。

観光地に入場する際は外国人とインド人で列が違ったり、インド人でも男と女で入り口が分かれていたり。

モスクに入る前には手を清めなければならなかった。その水はだいたい濁っていて薄く汚れていた。

郷に入りてはというけれど外からきた観光客の私にとっては意味のないものが多すぎるように思えた。

もちろん土地の約束事を尊重するし、それを遵守する人たちに何かを言うつもりもない。

でもこの水で手を清めることはできないよな、衛生的にはむしろ汚れそうだもの、それが私の本音だった。

そういう軽薄な態度は誤解を招いてトラブルの種になるものなので、旅先でなくても特に注意深くいるつもりなのだけど。

ジャマー・マスジットというモスクに来た。

大理石の冷たく光る白石を赤砂岩の熱い赤石でうまく封じ込めた荘厳な建物だった。

写真を撮っていたら背の低い老人がやってきて、ここは撮影禁止だと言った。

わたしは謝ってその場を去ろうとしたが、老人はデジタル・カメラをここに置いていけと言う。

自分は警備の巡回だ、と老人は言っているが身なりは警備員然としていないし、もしかしたらデジタル・カメラが欲しいだけのおじさんかもしれないなと愚推した私は、今撮った写真のデータをここで全て消して行きます。それで許してもらえませんか、と言った。

老人はうんと言わず、やはりカメラを置いていけという。気がつくと老人の脇には男が2、3人集まっていて何やらわからない言葉で議論していた。

一人が老人に質問して、老人が大きな声でそれに応えた。

男はチラリとこちらをみて、また老人に何事か言った。

面倒なことになりそうだった。

約束事を必ずしも遵奉しようとしないところは、それを文句なしに受け入れている人間からすれば、自分たちを馬鹿にしようとしているように映っているのかもしれない。

悪意とはまったく遠いところにいたはずだったのに、徐々にそちら側に引き摺り込まれているような気がしてきた。

老人はもはや私のことが憎くて仕方がない、という様子だった。

サポートしていただいたお金で、書斎を手に入れます。それからネコを飼って、コタツを用意するつもりです。蜜柑も食べます。