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むるめ辞典

■背中

[読]せなか

背の中

[例文]
柔らかいシャーベットがスプーンにひとすくいされたように山はえぐられていて、そこから海までの間には日に焼かれたセメントと灰色のくたびれた鉄工場が横たわるように並んでいた。

広大な鉄鋼施設の中には運動広場や娯楽施設もあったが、海と陸の境目にあるすみっこの魚市場がいつも賑わいを見せていた。

潮で錆びた頼りない簡易テーブルの上に発泡スチロールを並べて、鯒やメバルや蟹や蝦蛄を漁師が販売していた。黄や青の幟がテーブルごとに差し込まれて風に吹かれるまま、客寄せをするようにたなびいている。

私が覚えているのは、鉄灰色の工場を背景に、絵具で引いたみたいな色とりどりの幟が、目覚めるばかり鮮やかに浮かびあがっていたこと。投網と浮に染み付いた潮の匂いが、気を引き締めるようにきつくあたりに漂っていたことだった。

そこは今ではもう駐車場になってしまったと聞いた。あんなところにわざわざ駐車しに来る人はいないよなと懐かしさに呼ばれて行ってみたら、一台だけ停まった軽トラックの向こうで、昔ここに幟を立てていたであろう年齢の老人が一人、背中を向けて釣りをしていた。



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