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目と耳の間、人間の行為について

タレスという人をご存知ですか?
記録にある限りでは、世界最古の哲学者、つまり人類で最初の哲学者だそうです。

彼は真実と嘘にどれくらいの隔たりがあるのかと聞かれて、「目と耳の間ほどだ」と答えたそうです。意味はわからないけど、洒落てますよね。

私は哲学とか独自の思想とかいう立派なものは持ち合わせていませんが、好奇心は強いほうで面白そうな本を見つけては買い込むクセがあります。

まあ半分以上は読まれることもなく本棚で埃をかぶっているのですが、最近在宅勤務が増えて埃を払う時間ができました。

それで家の中のいろんな場所の、例えばトイレとか洗面台の鏡の裏とかベッドのサイドテーブルとか、至る所に本を設置しています。

今は「よくわかる世界の思想・哲学」というのをトイレで読んでいます。それでタレスという人を知りました。

でも哲学というのはアレですね。2千年以上前から同じ問題を考え続けているんですね。

「万物の根源が何か」

タレスはそれを水だと考えていました。

神話が信じられていて、神様のようなものを讃える古代の中で、目に見えるものの中から自然の力の源を探ろうとした、最初の人だったわけです。

今、この時代のこの瞬間でも「万物の根源が何か」について真剣に考えている人がいるんだと思うと、タレスという人から今日まで、同じ道が繋がっているんだと、自宅のトイレの便座の上で妙に感心してしまいます。

一体、私達はどこからきてどこに向かっているのか。東京の下水道が暗い地下に潜り込んでいつか浄化されるように定められた道のようなものがあるのでしょうか。

「人間の行為というものは、硬い岩の上に築かれたものも、湿っぽい沼地の上に根ざしたものもあるかもしれないが、ある点を越せばそれが何に根ざしたものであっても、どうでも良い事になってしまうのだ」と書いたのは小説家のF・スコット・フィッツジェラルドでした。

万物の根源が一体なにか。

普通に生活していると、どうでもいいことですよね。それを知ることで生活にどう影響するというんだろう。すごく立派な響きの言葉だけど、薄くて輪郭のはっきりしない雲のように役に立たないようにもみえます。

でも役に立たないことを真剣に考えることは人生を深く生きることと関係があるのかもしれないと最近思うようになってきました。

利益と実績の中に身を置いていて、成功と保身に囚われることもあるけれど、目と耳の間の距離のことについて考える時間もあっていいのではないかと思うのです。

こういう考え方こそが、湿っぽい沼地の上に根付いたどうでもいい葦のようなものじゃないかと言われたら、まあそれはそうなんですけど。

さて。そろそろお尻を拭いたら泉から立ち上がって寝室に向かいます。

それからベッドの脇に置いた経済の本を読んで寝ます。

皆さま良い夜を。おやすみなさい。


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