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階段を登りきった時にうめちゃんが見る景色が、素晴らしいものであればいいなと思う【5/15広島戦⚫️】

こういう日はいつも、ぐっちのサインボールを取り出してみる。今日のそれは、いつもよりも軽く感じる。こんなにあっというまに、欲しかった一勝が手からこぼれ落ちていくからなのか。

1回を投げて急に降板したスアレスの穴を埋めるために、みんなが必死につないでいた。それはここのところ見られるようになった、ヤクルトの粘り強さだ。久々に、投打も噛み合っていた。マクガフは3イニングも投げてくれた。野手は7点も取った。

でも、勝てなかった。最後までリードを守りきることが、できなかった。

去年の後半、うめちゃんは目をみはるほどに、めきめき成長し始めた。その成長があまりに眩しくて、これは将来のクローザーかもしれないなあと私は思い始めていた。

ところが石山が離脱することになり、思ったよりもずっとずっと早く、その日はやってきた。初めてクローザーとしてマウンドに立つ日、神宮のブルペンから出て行くうめちゃんに、先輩たちがみんなでお水を渡した。スタンドのファンも、ブルペンも、ベンチも、みんなが祈るように、うめちゃんを見守っていた。

クローザーの仕事はいつもとてもわかりやすい。その点差内で、試合を終わらせることだ。うめちゃんはその日、しっかりと、与えらえたその役割を全うした。そしてその日から、うめちゃんは、ここまでずっとその仕事を全うし続けた。ファンの思いも、ベンチの思いも、すべて背負いながら。

だけどうめちゃんは今日、それができなかった。いつもよりもたくさんの点差があったけど、いつものように守りきることはできなかった。

うめちゃんは、ベンチで涙を流したように見えた。

チームにとってはもちろん痛い1敗だ。勝ちパターンのピッチャーをつぎ込み、必死に掴み取ろうとした1勝が、溢れ落ちて行ったのだ。サヨナラの痛みは、いつだって誰もに突き刺さる。

だけど、それは、うめちゃんを成長させる痛みかもしれない。

たったハタチの青年が、急に任されたクローザーという大役を、必死でやりきろうとしていた。戸惑いも、不安も、もちろんあっただろうけれど、確実にその階段を登り始めていた。

でも誰しも必ず、どこかで壁にぶち当たる。成長の階段は、いつまでも一段ずつ登り続けることはできない。そこで踏みとどまることもあれば、降りることになることだってある。

階段をうまく登れなかった時、足を踏み外しそうになった時、それでも上を見上げて、立ち上がって、その階段をまた登り始めることは、きっと誰かを成長させる。今日の痛みを、悔しさを、涙を、ぐっと胆力に変えて、また登り始めればいい。その時踏ん張った力は、きっと後に振り返った時に、もっと大きな力になる。胆力があれば、階段も二段飛ばしで登れちゃうかもしれない。

どんな痛みがそこで待っていようと、上を向いて登り続けるのだ。見上げないことには、上は目指せないから。

まだたった20歳だ。ゆっくり登っていけばいい。そして、階段を登りきった時にうめちゃんが見る景色が、それが素晴らしいものであればいいなと思う。それをできれば、一緒に見ていられるような、一緒に喜べるような、そんな声援を送っていけたらいいなと思う。

目の前に立ちはだかる壁は、まだまだ高い。マツダの試合はいつも、いつもどうにもこうにもつらい。勝ちたい相手に、ヤクルトはなかなか勝てない。でもその痛みもきっとまた、いつか、何かの力になるのだと信じたい。

もう一度持ち上げてみたぐっちのサインボールは、さっきよりも少し重たく感じた。もうすぐ、ぐっちが戻ってくる。誰よりも痛みを胆力にし続けた人が帰ってくる。私が勝手に感じるこの痛みもまた、胆力に変えてえ、ボールの重みに変えて、何かを動かしていけるといいなと思う。

うめちゃんも、チームも、ファンにとっても、物語はまだ続いてゆくのだ。



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