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石山の「魔法」は、それでもとけない。 【3/7オープン戦 オリックス⚫️】

そりゃもちろんノーノーはつらい。しかもCSでノーノーはありえない。あの日のスガーノと小林の顔は忘れられない。だがしかし、世にはもっとつらいことがある。それが「クローザーが打たれる」ことである。(さらにつらいのは「死球で退場者が出る」だけれどもそれはまた別の話)※すべて個人比です。

クローザーに転向した後の石山が逆転もしくは同点に追いつかれて負ける、というのは記憶の限り3回ほどしかない。京セラ(阪神戦)のサヨナラ、マツダのサヨナラ、神宮の広島戦の同点打。そう、3回ほどしかないのだけれど、でも、(少なくとも)3回は、あったのだ。

どれだけ素晴らしい投手でも、打たれる時は打たれる。それは世の真実だ。

・・・振り返ったら泣けてきた。

それはいつもとびきり、つらい試合だった。石山やこんちゃんが打たれるたび、つい、「魔法が解けてしまうのではないか」と私は思った。

ぐんぐんと勝率を上げるチームを支えてくれたのは、明らかにその二人(そして中尾くんやうめちゃん)だった。でもそれは0時までのシンデレラと同じで、今だけ見ている夢のようなもので、いつか現実が降りかかるのではないか、と、いつもどこかでこわかった。

でもそんな不安を吹き飛ばすように、こんちゃんと石山は、「打たれた次の試合では絶対に打たれない」というのを繰り返した。悪い残像を、すべて打ち砕くように。

シーズンが終わる頃、魔法はもう魔法じゃなかった。そこに残されたのは、素晴らしい投手が守りきった、たくさんの「現実」の勝ち試合だった。

「自分では(抑えは)白紙だと思っている。狙っていきたい」と石山は言う。

「チームの勝利が一番。数字は最後についてきてくれればいい」と言う。

いつだって、石山はとても謙虚だ。クローザーだとは思えないくらい、とても謙虚だ。だけどこの謙虚さと、そして危機感をいつも持ちながら、石山はブルペンで投げ続ける。そして、マウンドに上がる時に、別人のようになる。

浦添のブルペンで、投手陣が投げ込んでいるのを見ていると、私は無性に泣けてきた。それは、なんだか魂を削る作業のように見えたから。実際に、腕を酷使しながら、磨耗しながら、何かに向かっていく姿に見えたから。

そこまでしなきゃいけないんだろうか、と、素人の私は思ってしまう。それは魔法じゃなくて現実なのだから、無理をして壊れてしまったらもう、元に戻すことはできないかもしれない。

でも多分、「そこまでしなきゃいけない」ことなのだろう。その腕に、一振りに、自分の人生がかかっている。人はいつだって、何かを削りながら、少しずつ失いながら、終わりに向かってゆくのだ。それでも生きている間は、その時間が素晴らしいものになるように、何かを残していけるように。少しずつ、身を削るのだ。

これだけ身を削るのだから、いつか投げられなくなる時は必ず来る。

だけどそれは、「魔法が解けた」時じゃない。

いつもその試合を、その瞬間を、魂を込めて、身を削りながら、守り続けてくれたその結果だ。そのための「準備」ですら、身を削り続けた結果だ。

それならばいつか必ず来るその時まで、私はただただ、信じて祈り続けるしかない。石山のその時は、まだまだずっとずっと先なのだから。

どんなに素晴らしいバッターだって打てない日もあれば、どんなに素晴らしいピッチャーだって打たれる日もある。シーズン中、私は何度も「こんな日もある」と繰り返す。誰だって何だって100%がないのなら、必ず「こんな日」はやってくる。今日はきっと、その日の練習だ。

「切り替えを大切にしている。打たれたときは食事や睡眠で切り替える」と石山は言う。

だから今日はおいしいお好み焼きを食べて、たくさん寝て、また次の登板で素晴らしい投球を見せてください。私はたくさん寝て、明日の保護者会に備えたいと思います。ぐない。


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