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何度でもきっと、人は乗り越えていける 【4/25 巨人戦◯】

たくましいなぁと思う。こちらが一人で、苦手意識を持って、あぁ無理だなんて思っているのに、みんな必死にくらいついていく。もう絶対ヒットなんて打てない気がしてしまうのに。誰も諦めてなんかいないんだな、と当たり前のことを思う。いつまでもいつまでも、乗り越えられないわけじゃない。

そんなことを、無得点で終わった1回裏と2回裏に思っていた。1回裏、エイオキは早速スガノからツーベースを放った。2回裏、昨日はチャンスで打てなくて悔しそうにしていた雄平が気合の内野安打を打ち、村上くんはヒットを放った。

どちらも点は入らなかった。でも、スガノ相手に必死にくらいついていることは、ひしひしと伝わってきた。誰も、「スガノだから」と諦めてなんていない。この三連敗に、心折れてなんていない。ライトスタンドから見ているだけで、それが伝わってきた。

もう十分だ、と私は思った。ヤクルトがここから何連敗をしたとしても、いつものようにずるずる借金生活に入ったとしても、それでもこうやってスガノからヒットを重ねる姿を見せてくれるだけで十分だ、と。

その間、スアレスは強力な相手の打線をしっかり抑え続けてくれた。2回無失点の時点ですでに私はありがとうありがとうと思っていた。3回無失点で終えた時にはもうかみさまにしか見えなかった。いまだかつて3回無失点でおさえられるピッチャーがいただろうか。

昨日の試合で私は、エイオキ→てっぱち→ココの並びを見られるこの贅沢な時間は今だけなんだよな、と、改めて思っていた。どんな結果になったとしても、その三人が並ぶこの時間を大切にしていたい、ここで応援していたい、と。

その三人が、今日、並んでホームランを打った。しかも、スガノから。並んで打席に立ってくれるだけでうれしいと、そう思っていたのに、それだけじゃ飽き足らず、三人並んでホームランを打ってくれた。まったくもう、やることが極端すぎる。

あのCSの日、私は「悔しさを、力にするためには時間が必要だ。」と書いた。時の流れは、誰かに引退を決意させ、戦力外を告げる。だけど、成長するために必要なのもまた、時間なのだ、と。

半年という時間の後、ヤクルトたちは奮起した。あの日悔しかったのは、唇をかんだのは、もちろんファンだけじゃない。

これは、長い長いシーズンの一つの試合だ。たった一つの勝ちだ。でもそれでも、ヤクルトたちがあの試合から決して心折れることなく(私は折れてたけど)、諦めることなく(私は諦めていたけれど)、立ち向かい、挑んでいったその姿を、きっと私は忘れないと思う。そこで、エイオキと、てっぱちと、ココが並び、チームとして何かを一つ、乗り越えていった姿を、その日の神宮の空気を。

悪い残像は、いつも前に進むことを躊躇させる。それを打ち砕くのは、簡単なことじゃない。打ち砕いた瞬間、また同じような悪夢がやってくることだってある。でも何度でも、何度でも、人はきっと乗り越えていける。時間がかかっても、もしかしたら傷つくことの方が多くても、それでも、立ち向かってゆく限り、いつかはまた乗り越えられる日が来る。

神宮には今日も、たくさんの想いが集う。それは、一つにまとまったものじゃない。みんなそれぞれが、いろんな想いと、物語を抱えている。普段見ているものは様々だ。決して同じ方向を見ているわけじゃない。でもそれでも、その瞬間だけは、同じものを見て、三人のホームランが、あらゆる人たちの心に届く。誰かの痛みを、悔しさを、洗い流してゆくように。私は今日もまた、そっと思う。今だけの、今日だけの、物語をありがとう。



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