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知ってほしい!本当の学校のリアルはどこにあるのか?・小さな教育情報

 前屋毅『教師をやめる 14人の語りから見える学校のリアル』(学事出版)のご紹介です。

 表紙裏に書かれた〝「辞めた理由」の中にこそ、学校の現実がある〟というキャッチコピーを見て読んでみました。この本は全部で14人の「辞めた」元教員へのインタビューで構成されています。

 14の事例の中には「これはさすがにその本人に問題があるのでは?」「いくらなんでもこんな下世話な話を学校のリアルと言われてもなあ」というものもありまして、やや玉石混交です。

 しかし、読んでいて100%共感できるものもあります。さらに言えばかなり重要な問題提起をしている事例もあります。

 そこで、以下は私が独断と偏見でこれが世間に知ってほしい「学校のリアル」なんだ、というところをセレクトして引用したいと思います。

①「クラスの問題は担任の責任、という認識だったんだと思います。私にしても、こんな状態になっているのは、ぜんぶ自分の責任だと思っていましたからね。担任が1人だと、クラスの問題全部を負わなければいけない。そういうリスクがあります」(「1悪いのは私だけ?」p31)

 ダメな学校が未だにある例です。さすがにこんな学校はなくなってきていると思いますが、じつは当たり前と思われているクラス担任制にこそ学校のリアルな問題点があります。

②「学校現場を知らない人たちには、教員は授業だけやっているものだと思っている傾向が強い。だから子どもたちが帰ってしまえば仕事は終わりで、「教員は楽な仕事だ」と思っている人は少なくない。(中略)ありとあらゆる雑務をやらされているのが現実である。どっちが本業か分からないありさまだ」(「2「やったもん負け」の学校文化に疲れ果て・・・」p40)

 授業以外の仕事がただひたすら増加しているという現実。世の中が便利になり、サービスが細分化されればされるほど、学校という職場は旧態然としたままなので一人のやる雑務は増えていくのが現実です。

③「教員同士が意見交換したり、指導について議論する雰囲気がまるでなかった。職員が一丸となって改善していこうという雰囲気はなかった。それに嫌気がさしたのかもしれません」(「2「やったもん負け」の学校文化に疲れ果て・・・」p43)

 1文目はこんな職場があるとは信じたくないですねえ。でも2文目はよくわかります。これは難しい問題です。私がよく言うのは「戦中派」と「戦後派」です。自校で本当に苦しい経験・立て直しを経験をした「戦中派」は「二度とあんな思いはしたくない」と一丸になれますが、「戦後派」経験しかない平和ボケ教員は自分のクラスのことしか考えられません。じつはこれもクラス担任制の弊害です。

④「問題が表面化するたびに評論家とかコメンテーターといった方々が、『なぜ教員はこう対応しないのか』など、いろいろなことを言われます。以前の私も、同じように思っていました。でも、いまは『学校現場に1週間いたら対応できない理由がわかるよ』という気持ちです」(「5学校は外からみるほど単純なものではない」p79)

 このインタビューに答えている千葉雅子さん(仮名)は「単純なものではない」理由―いじめの加害・被害は「簡単に色分けすることなんてできない」として、家庭の問題・勉強面の問題・発達障害や自閉症スペクトラム等を抱えているなどさまざまなケースがある、ということにふれた後、次のように言っています。

「『解決策はこれ』なんて軽々しく言えないんです。それが外からはみえないから、学校が何も対応していないようにしか思われない」(同p79)

 私も偏波な報道しかしないマスコミや評論家・コメンテーターと称するエセインテリたちには日頃から心底頭にきてます。

⑤「子どもたちの暴言、暴力は、いまの学校では日常茶飯事といってもいい状況です。『死ね』とか『あっち行け』みたいなことは平気でいいますからね。(中略)それに対して、こちらが暴言で返すことはできません。暴力で返すなんて、やったら大事になるのはまちがいありませんからね。それで、非難されるのは決まって教員です」(同上p85)

 もちろんどんな困難があってもよりベターな指導の在り方を探り、実践するのがプロというものの姿でしょう。しかし、私はそろそろ限界ではないかと思っています。誤解を恐れずに言えば、日本の現場教師は「丸腰」で「戦場」へ放り込まれているようなものなのです。

⑥「みんな自分のクラスをもっているので、ほかのクラスのことにまでかかわる余裕がない。だから、迷惑がかかるのを分かっていて助けを求めることができない。もうひとつには、教員として力不足だと思われたくない。能力がないと思われるのは嫌だし、それは恥だと思ってしまう。だから、『助けて』と言えない」(同上p88)

 ここが究極の学校のリアルです。ここにはここまで紹介してきた<古い体制による雑務の肥大化><保護者・社会からの際限のない要求の増大><クラス担任制の弊害>さらに加えて<最前線に立つ現場教師への「指導力不足」という名の脅迫>が詰まっています。

 <教師の指導力>や<教師の力量>というワードは確かに大事なポイントです。教師は皆、子どものためにスキルアップを目指して日夜努力する必要があるからです。しかし、です。私は<雑務の肥大化><要求の増大><担任制の弊害>等の問題をすべて<指導力不足>に解消させて、現状の問題点の解決策を現場に押し付けているように見えます(ところで<クラス担任制の弊害>を何回か指摘しました。これについては回を改めて私の意見を書きたいと思っています。「クラス担任」というのは教師の生きがいでもあるので・・・)。

⑦「授業をしながら、気になる子に注意を払いながら、そのあとにやるべきことの段取りを考えている状態です。段取りや準備を周到にしておかないと、すぐに子どもたちが騒ぎ出すので、精神的にもかなり疲れましたね。気分は毎日、戦闘モードですよ」(「7仕事がだんだん楽しくなくなっていくなかで」p119)

 この先生はかなり力のある素晴らしい先生とお見受けします。先ほどのワードで言えば「指導力のある」先生です。この証言の「精神的にもかなり疲れましたね。気分は毎日、戦闘モードですよ」に注目してください。今や授業は「戦闘モード」なのです。

 最後に教員の仕事がいかに面倒なものになっているか、いかに非効率なものになっているかの例をご紹介します。保護者への電話事例と子どものための支援計画作成の事例です。

⑧「たとえば子ども同士のトラブルがあって保護者に連絡すると、『相手の保護者に謝罪したいから電話番号を教えてくれ』となります。しかし簡単に教えてはいけないことになっているので、先方に確認の連絡を入れて了解をもらい、それを先の保護者に伝えるといったことになるんです。どんなことでも、私が初任のころにくらべれば、かなり手間がかかるようになってきたし、それだけ教員の負担は増えるわけです」(同上p113)

 個人情報の問題でこうなります。でも、この例はまだいい方です。保護者が自分から「謝罪したい」と言ってくれているのですから。学校からやんわりと「電話していただけませんか」と言わなければならない場合もあります。ただし、うまく言わないと二重三重のトラブルになることもありますが。「謝罪の仕方を教えてほしい」と言われるケースもあります。

⑨「最終的には、役所の文書そのものの内容になります。(中略)それを受領して保管する。保管場所から取り出されることのないまま、その支援計画は保管場所で眠ってしまうことになる。ただ型を整えるだけなんですね。支援計画も子どもの様子を見ながら、支援に生かして役立つ内容のものをつくっていけば、大きな意味があると思いますよ。ところが実際は、そうではなくて、ただ型どおりにやっているだけのことでしかない」(「12学校の「型」が受け入れられなかった」p194)

 なぜこんなことになるかと言えば、これも個人情報の問題です。こういう支援計画等は個人情報が満載です。教育委員会はそれが漏洩することを非常に恐れます。そうすると「鍵のかかるところへ保管せよ」という御達しとなるわけです。忙しい毎日、いちいち鍵のかかる保管場所まで行って取り出しで再びもとに戻すなんて面倒なこと誰もやりたくありません。パソコンの中に保存していつでも職員が見れるようにすれば指導効率も上がると思いますが、絶対に許可されません。仕方がないと言えば仕方がない。ゆえに「眠ってしまう」わけです。


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