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【料理エッセイ】中二の夏、はじめて作ったスパイスカレーは……

 地元の駅前にカルディができたのは、中二の夏休み中だった。思春期で反抗期だったわたしは無料でもらえる甘いコーヒーに大人を感じ、それまで見たこともないような食材が並ぶ棚を見て、世界を感じた。

 ちょうど自分で料理をするようになっていたので、いつも行くスーパーでは売っていないものに魅力を感じた。それは母が絶対に使ったことがないと確信を持てたから。

 うちの母は料理が得意じゃなかった。夕飯は近所のお肉屋さんの惣菜が多かった。うどんみたいなキャベツの千切りとコロッケだったり、メンチだったり、唐揚げだったり。たまに作るものと言ったら、Cook Doの回鍋肉、エバラのタレで焼いた生姜焼き、そして、バーモントカレーの甘口が定番だった。

 小さい頃はどれもおいしいと思って食べていた。実際、おいしいはおいしかったし、いまになってみれば、忙しい合間を縫って、毎日のご飯を用意する大変さには頭が上がらない。

 でも、十四歳のわたしはなにもかもにイライラし、ブームになっていた青森県のぶさカワ犬・わさおにさえ、うざいという理不尽な感情を抱いていたぐらいだったから、母のなんてことない家カレーが我慢ならなかった。

「おいしくない」

 そんなひどい言葉を放ち、口をつけなかったこともある。喧嘩になった。

「だったら食うな」

「いいよ。食べない。自分で作る」

 不機嫌な態度と大声だけで、こちらに落ち度しかないにもかかわらず、言い負かしたつもりになっていたけれど、じゃあ、わたしがどんなカレーを作るのかと言えば、結局はスーパーでジャワの辛口をルーを買ってくるだけ。大した変わらなかった。

 要するに母と違くありたいだけだった。母のなにが悪いというわけではなくて、わたしは母じゃないと示したくて仕方がなく、とにかくすべてにイチャモンをつけていた。否定という刃で周囲の優しさを削ることでしか、アイデンティティという彫刻は浮かび上がってこないと盲信し、必死にツンツン、母を傷つけていた。

 ところが、カルディと出会い、母の知らない地平に立ったような気がした。ここで手に入るものを使えば、ゼロからわたしを作り出せるかもしれない。そんな風に心が震えた。

 まず、スパイスカレーを作ろうと思った。市販のルーを使わずに、独自にスパイスを調合するなんて、カッコいいに決まっていると興奮した。

 とりあえず、一袋百円から二百円のスパイスを一通り買い集めた。それぞれがどのような特徴を持つのか、さっぱりわかっていなかったけれど、とにかく完璧な本格カレーを目指していたので、手に入るものはぜんぶ加えるつもりだった。

 帰宅し、すぐさま調理に取りかかった。母からは、

「こんなものいっぱい買い込んで。どうせ余らせるのにもったいない」

 と、言われたけれど、無視してカレー作りに勤しんだ。

 いつものように鶏肉を炒め、にんじんと玉ねぎ、じゃがいもを炒め、そこにスパイスを目分量で次から次へと入れていった。

 芳しい香りがぷわーんっと家中に漂い出した。母はソファーやカーテンがカレー臭くなっちゃうでしょうと怒っていたが、わたしはすっかり芸術家気取り、この素晴らしさが理解できないなんて……と余裕たっぷり、気にもとめなかった。

 そして、夕飯。出来上がったカレーをご飯にかけて、家族みんなに配ってあげた。さあ、わたしの凄さを認識し、平伏すのだ! そんな悪者のセリフを胸中で唱えつつ、

「どうぞ。召し上がれ」

 と、振る舞ってみせた。

 しかし、一口食べた父は顔をしかめた。弟も苦しそうにしていた。母に至っては秒速で、

「なにこれ。まずっ」
 
 と、躊躇なく吐き出す始末。なにが起こっているのか理解できなかった。

 わたしも慌てて、カレーを食べた。すぐさま驚いた。食べちゃいけない草を食べているような匂いに襲われた。なのに、まったく味はしなくて、端的にまずい以外のなにものでもなかった。

 その日は各々、納豆や梅干、生卵で適当にご飯を食べてもらった。わたしは完全なる敗北で食欲をなくし、部屋にこもって、なにがいけなかったのかインターネットで調べた。

 てっきり、スパイスはルーの代わりなんだと思っていたが、どうやらまったくの別物であることが判明した。かつ、スパイスはどれも香りに関するもので、塩気はコンソメを入れるなど、こちらで調整する必要があるらしかった。

 つまり、わたしは本格カレーのつもりで、カレーの匂いがする無味スープを作っていたのだ。しかも、とろみをつけたくて、ドロドロになるまでスパイスの粉末を加えていたから、その風味がどうなってしまうか、想像に難くない。

 翌日、レシピをもとに再チャレンジしてみた。

 まずは薄切りにした玉ねぎをきつね色になるまで炒める。すりおろしたニンニクと生姜、鶏肉を加え、クミンとターメリック、コリアンダーをスプーンで一杯ずつ振りかける。にんじんとじゃがいもは加えない。辛さはチリパウダーで好みに合わせた。

 あとはスパイスを焦がさないように、飴みたいになった玉ねぎをトマト缶やコンソメスープでゆっくり伸ばし、塩で味を整えながら炒めていけば、今度こそ、本格スパイスカレーの完成だ。

 念のため、味見をし、おいしいことを確認してから食卓に出した。ドキドキしながら反応を待った。

 父と弟は怖がり、なかなか手をつけてくれなかった。そりゃそうだよね。昨日、あんなものを食べさせられたら、信じられないよね。わたしはとても情けなかった。

 一方、母はすぐさま頬張って、

「お。今日はおいしい」

 と、笑ってくれた。

 ホッとした。知らず知らずに強張っていた全身の筋肉がフワッと緩み、

「よかったぁ」

 と、弱々しい声が漏れてしまった。

 以来、わたしはスパイスカレーにはまり、実家を出てからは市販のルーを基本的には使わない。

 カレーに欠かせないスパイスはクミン・ターメリック・コリアンダーの三種類だけ。辛さに関するものは唐辛子だけなど、想像以上にシンプルな仕組みだったので、慣れてしまえばなんてことなかった。

 はじめてのスパイスカレーはなにも知らずに作っていたから、シナモンとか、山椒とか、カルディで売っている粉末を適当にぶち込んでいた。そりゃ、めちゃくちゃな味になるわけだ。

 いまなら、失敗することはない。メインの食材を海老にしてみたり、ひき肉でドライカレーを作ってみたり、小麦粉で腹持ちをよくしてみたり、インドが発明したカレーという懐の深い調理法のおかげで、なんでもおいしく食べられる。 

 それでも、市販のルーで作ったカレーが嫌いになったわけじゃない。

 先日、久々に実家へ帰った。お刺身や煮物をつまみにお酒を飲みつつ、テレビをつけつつ、わあわあとしゃべりあった。かつて、母にあれほど反発していた自分はどこへ行ってしまったのか。不思議で、不思議で、仕方なかった。

 夜も遅くなり、お腹もいっぱいになってきたとき、母が思い出したように、

「カレー食べる?」

 と、聞いてきた。なんでも、昨日のあまりが冷蔵庫に入っているらしい。

「ご飯も冷凍なんだけど、よかったら、少し食べない?」

「そうねぇ。少しだけ食べようかな」

 電子レンジのブーンという音が聞こえてくると同時に、懐かしい香りが漂ってきた。決して本格的ではないけれど、食欲そそる人懐っこい匂いにじんわり胸が熱くなった。

「はい。どうぞ」

 ミスドの景品でもらった年季の入ったお椀に、ライスカレーが盛られていた。カレーライスではなく、ライスカラーなのは、カレーの上にご飯が載っているから。

 母のこういう雑なところがむかしは嫌いだったんだよなぁ。

 そんなことを思いながら、これまたミスドの景品でもらった年季の入ったスプーンでもって、バーモントカレーの甘口をパクッと食べた。

「どう? おいしい?」

「……。うん、おいしい」

「よかったぁ」

 母はホッと安心したように笑った。




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