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【ショートショート】有馬記念の後に神田川で星を食う (2,561文字)

 クリスマス・イヴ。有馬記念で三連複を当てた。一人、ウインズ後楽園で歓喜した。

 千円で買った馬券は八万円になった。ホクホクな気持ちで、夜はなにを食べようかなぁ、なんて考えながら、水道橋駅に向かって歩いていたところ、陸橋の途中で、突然、舌ったらずに、

「お兄さん。新鮮な星、要りませんか?」

 と、声をかけられた。

「え? 星?」

 つい、立ち止まり、わざわざ聞き返してしまったのは、財布が満たされて余裕がこちらにあったからか、それとも、「新鮮な星」という聞き慣れないフレーズに興味関心が吸い寄せられてしまったからか。

 ともかく、振り返った先には赤い頭巾をかぶった少女がニコニコ立っていた。

 おとぎ話の世界から飛び出してきたかのようなフィクショナルな光景に慈善の心がときめいた。歳末助け合いの精神でもって、僕はお馬さんにもらった幸運をお裾分けすべく、

「じゃあ、ひとつ、もらおうかな」

 と、少女のそばに近寄った。

「どのサイズをお望みですか?」

「ああ、そうか。いろいろ種類があるんだね」

「お兄さん、星を買うのは初めてですか?」

「うん。実はそうなんだ」

「星デビューということでしたら、まずはタバコサイズがオススメです」

「箱ぐらいの大きさってこと?」

「いえ、違いますよ。タバコはタバコでも……」

 少女は右手をチョキの形にして、唇に当てた。目を閉じ、すーっと息を吸い込み、気持ちよく吐き出すのかなぁとこちらの意識が前のめりになった瞬間、

「これです」

 と、左手で透明なタバコの先端を指差した。

「え? 火がついてるところってこと。小さくない?」

「はい。なにせ、お試し用ですから」

「いや、それにしても小さ過ぎるでしょ」

「すると、お兄さんは星をなにに使うか、目的をお持ちなのですか?」

「え? どういうこと?」

 クエスチョンマークの応酬に少女はやや呆れた様子でため息をついた。

「でしたら、悪いことは言いません。素直に初心者用の小さいものをお買い求めになるべきです」

 自分より身長の低い少女から見下されているような威圧感があった。

「わかったよ。じゃあ、その初心者用の小さなものをひとつもらうよ」

「ありがとうございます」

 たちまち、少女は笑顔に戻った。

「ちなみに値段はいくら?」

「千円です」

「え! そんなに安いの?」

「はい。金額にご不満はありませんか?」

「もちろん。全然、大丈夫だよ」

「ありがとうございます。では、早速、船に乗ってください」

 そして、促されるまま、気がつけば僕はボートで神田川に浮かんでいた。少女の赤い頭巾は風に楽しくなびいていた。

 てっきり、その場で星をもらえるものと思っていたので僕は戸惑っていた。諸々、確認したかった。しかし、船頭となった少女は体勢低く、水面を凝視し、

「運がいいと、この辺でも獲れるんですけどねぇ……。もう少し、先へ行きましょう……」

 と、職人の顔で仕事をしていたため、僕が口を挟む余地はどこにもなかった。

 ボートは飯田橋方面にゆっくりと進み始めた。沿岸の建物が増えてきて、徐々に、明るくなってきたとき、少女が、

「あった!」

 と、大きな声を上げた。ほんの少し語尾に明るさが灯っていた。中腰のまま、置いてあった網と棒をつかんで水面をさらい出した。

 なるほど、流れ星の破片かなにかが神田川に落ち、浮かんできたものを星として売っているのか。ほんのちょっと合点がいった。

「お兄さん、ほら、見てください!」

「はい!」

 ウキウキとした呼びかけに応じ、僕は少女が指差す先を覗き見ようと慌てて身を乗り出した。そのせいで、ボートは大きく揺れてしまった。

「ごめんね」

 心臓をバクバクさせながら、船のへさきに全身を預ける僕とは対照的に、少女は姿勢よくゆったり座り、

「まあまあ。落ち着いてください。すぐに、星を獲ってお渡ししますので」

 と、微笑んでくれた。それから、網と棒を器用に動かし、たぶん、星を回収した。なんだか、それは魚でも捕まえているような光景で、無性にお腹が空いてきた。

 今夜は有馬記念で一儲けし、豪華な夕食に食らいつく予定だったので、朝飯も昼飯も抜いていた。ドウデュースの興奮で忘れていたが、僕はかなり空腹だったのだ。すっかり陽が沈み、真っ暗な神田川をたゆたいながら、胃袋がキューッと小鳥みたいに切なく鳴いた。

 だから、少女が船に手繰り寄せた網から小さなかけらを両手ですくって、

「さあ、獲れたてですよ!」

 と、かすかに光り輝く手のひらを差し出してきたとき、僕はそのきらめきに口をつけないではいられなかった。

 よくないことをしている自覚はあった。少女に嫌がられるのはもちろんのこと、警察を呼ばれてもおかしくなかった。ただ、理性に反した本能的な振る舞いを止めることはできなかった。少女の母指球は左右ともにほどよい弾力があった。舌先で触れると生ガキを堪能しているように官能的で、これを性加害と呼ばずになんと呼べばいいのか、我ながらおぞましかった。

 恐る恐る、顔をあげた。どんな風に見られているのか。確認するのは怖かった。

 ところが、案外、少女はケロッとした表情で、

「食べることにしたんですね。お兄さん、星が初めてって、本当ですか?」

 と、感心するようにつぶやいてくれた。

「……え?」

 僕は彼女の手のひらから顔を離し、戸惑いの声を漏らした。そのとき、口の中をプチッと弾ける軽やかな刺激が襲った。思わず、目が点になってしまった。

「面白いですよね。星って。うちの常連さんにフレンチのシェフがいるんですけど、デザートに星を使ったデザートを出しているらしく、めちゃくちゃ評判がいいらしいです。最近、星のおかげでミシュランの星がとれたと喜んでいました」

 僕らはフフッと笑い合った。

 結局、その日、僕は有馬記念で当てた八万円をすべて星に使ってしまった。すべてを食べるには量が多過ぎたので、余った分は持って帰ることにした。少女は包むような赤い頭巾を貸してくれた。

「星は早めに使ってくださいね。なにぶん、足が早いもので」

 警告通り、総武線の終電を降り、家路に着いている間、抱え持った赤い頭巾がピカピカ光り、星はたちまち蒸発してしまった。直後、僕の身体も輝き出して、ふわっと宙に浮かんだと思ったら、東京の退屈な夜空を目指して、真っ直ぐ昇り始めてしまった。

(了)




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