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⭐自由とはまず健康であること 健康ファイナンスの勧め⭐

私が福島県に後期研修医として勤務していた頃、医局から研究日に地元の施設に往診に行くように言われました。

のどかな田園風景の中に施設はあり、看護師さんが同行し施設内を診察して回りました。
その施設では入所者さんの外出は制限されており、歩ける人たちは20m程度の廊下を何往復もするなどして歩行能力を保とうと努力している方もいました。
施設入所者さんの中でコミュニケーションが取れる方は限られていましたが、Aさんはとてもしっかりしていて、往診の際お話をするようになりました。
現役時代は社長をしていたようですが、息子さんの意向で施設入所となった様子でした。
いつも笑顔で前向きなお話をされるので、診察の際看護師さんと私は時に一緒に笑ったりしていたのです。
しかし徐々に筋力が衰え、また持病のパーキンソン病が進行し、いつのまにか車椅子生活になっていました。

ある時往診に伺うと、看護師さんから、Aさんが今日は看護師の同行なしで私だけと話をしたいと願っている、と言いました。

一人でAさんの部屋に行くと、いつになく悲しみにあふれたAさんの姿がありました。
Aさんは泣きじゃくりながら、こう言ったのです。

「僕はみじめです、とても健康だったのに、今は車椅子になって歩くことができません。物忘れも増えました。 そして先日、私はトイレが間に合わなくなってしまったのです。僕は恥ずかしくてみっともなくて、こんな姿でみじめな姿で生きていたくないんです。いっそ舌を噛んで死んでしまいたいんです。」

私は1時間程度Aさんの話を傾聴し、人は誰でも失敗すること、また往診に来るから希死念慮に対し思いとどまるようお伝えしました。
そして次回往診にゆくと、Aさんの部屋はありませんでした。施設の看護師さんの話では数日前に部屋で心筋梗塞で亡くなられたというのです。
私は複雑な心境になりました。
これは本当に病死なのだろうか。
つらい気持ちがストレスになって急死したのだろうか、それとも、、、。

高齢化に伴う様々な変化、不都合さに耐えながら自分を奮い立だせながら生き、その中で自尊心を維持することは並大抵の忍耐力ではできないと思いました。

先日認知症の大家で「長谷川式簡易知能スケール」を作成した長谷川和夫先生が自ら「ボク自身が認知症になった」と公表し、「ボクはやっと認知症のことがわかった、自らも認知症になった専門医が日本に伝えたい遺言」という本を出版しています。

その中に書いていることで印象的であったのが、一見認知症で何もわからなくなってしまったように見える方でも、感情、心だけは最後まで残っているそうです。
馬鹿にしたり、周りで決めてしまうのは絶対に良くないとおっしゃっています。

「社会保障のための負担など自分が使えるお金、可処分所得が減るのでよくない。」
「働けなくなってお金が無くなったら飢え死にを選びます。介護を受けるなら人生の意味はない。認知症になって生きるなんて考えられないですね。」 という意見もよく聞きます。

今元気で働けて、老後も自分の貯金で食べてゆける自信と覚悟のある人はこのように感じがちです。
しかし、病気や高齢などで働けなくなって初めて、社会保障という「支え合い」のありがたみがわかると、小西雅昭さんはおっしゃっています。

今の社会を救わなければ将来の社会はないと、借金(=赤字国債の発行)で今の世代の給付を賄い、負担は将来世代に先送りしている、厳しい状況の中で、 社会保障の維持のため何ができるのか、いかに介護が必要になる時期を遅らせられるか、 自分のことのように考え、真剣に取り組む必要があると思います。

生活習慣病のほとんどは心がけ次第で改善できます。
そしてコロナ後の現在、運動不足に真剣に取り組んでほしいと思います。
私自身も、コロナウイルス流行下の行動制限で少し筋力が落ちたと感じ、最近は週2回、ホットヨガ1時間の後、他のスポーツジムに梯子し、ランニングとサウナに入り、運動しています。 日々ガーミンのスマートウォッチの歩数や消費カロリーを確認し、食事内容はノートにメモしています。
健康意識の高い友人をもつのも最高の薬です。

健康ファイナンス、忘れないで行きましょう。

=「自由とはまず健康であることだ」= アンリ・フレデリック・アミエル(スイスの哲学者)


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