見出し画像

きっと大丈夫。

どこかいつも心のなかには生きづらいなって気持ちがあった。「こうなったら死んじゃう。」でも、この暴走してコントロールが効かなくなった感情をどこに持ってったらいいのだろうかと悩むときほど、冷静に考えることができなかったりする。救えるものなら、救ってみたい。救ってあげたいんだけど、その"考え"が、逆に、ひとを苦しめる呪いになることだってある。分かり合おうとしなくてもいい。むしろ、分かることのほうが少ないからね。自分にしか分からないこと。その人にしか分からないものって、たくさんあるとおもう。

よくひとは、自分の思いを曝け出すことに”恥ずかしさ”を感じるという。「こんなこといったら、恥ずかしいよね」「カッコ悪いんじゃないかな」ってね。でも、自分だけがみえる世界でも、みんな心の内にひめてる思いってのは、一緒だったりするんよね。だったら、隠す必要もないのかなって思う。

文章を書くことで、息を吸ってはきだすような、そんな生きているなという実感がえられる。それはあなたにとって、もしかしたら写真を撮ることかもしれない。ただ、続けている。けど、それをやることで、生きててもいいんだなって思えることが、ひとつ居場所になっていた。

みんなといっしょであること。みんなといっしょにいることが、しんどくて、当たり前のことを当たり前にできるひとって凄いなっていつも思ってた。小学生のときから、学校にいくのが辛くて、決まった時間に決まったことをやって、決まった時間に帰ることが、とてもきつく感じる、この世の中は不条理だなっておもった。

大学にはいり、束縛がなくなり、生きるのがラクになった。そして、気づけば大学院にまで来てしまっていた。結局、じぶんは、そういった生き方があっていたのかもなって思う。学校にいけなくなって、いけないんだなと分かって、暗い部屋のなかでひとり、誰とも会わず、誰ともはなさずに、絶望するだけの人生だったけど、蓋をひらいてみたら、意外と大丈夫だったし、人生なんとかなった。

春から就職して働いてたけど、しんどくてやめてしまった人も、進学して新しい環境になじめず、やめるひとも、きっといるとおもう。でも、たとえ上手くいかなかったとしても、結局は、自分がいるべきところに辿り着くのが人生なのかなって思う。どんなにすごい人であっても、ひとりひとりが、みんないっしょだと思えれば、社会はもう少し明るく、そして、やさしくなっていくんじゃないのかなって思った。

この記事が参加している募集

最近の学び

サポートして頂いた方は忘れません