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【技よりも術】

博心堂鍼灸院の、いんちょです。

昨日今日と時間の隙間を見つけては、昔学んでいた野口整体の資料を片付けています。

先日の書棚の整理整頓に引き続き、膨大にたまっていた野口整体の資料の片付け方を模索していました。

20年ほど前まで一時期、野口整体の学びを深められておられた先生の元、資料の読み解きや実技など、いろいろな野口整体らしい取り組み方を学ばせていただきました。

そのあと、東洋医学にどっぷりつかるようになり、20年前から10年ほど、今度はガッツリ脈状診を中心とする鍼灸施術の組み立てを学んできました。

で、この10年ほどは人の心理やメンタルケアについて、東洋の占術である易占を中心として、東洋の心理学や仙人術(養生法)へと学びをうつしてきたわけです。


さて、野口整体。
知る人ぞ知る整体術のもとになったものですね。
あるいは、野口整体以外は、整体術ではない、と言われたりもするみたいです。

そんな野口整体ですが、鍼灸施術の世界に身を置いていると、ときどきご縁があります。

野口整体を学んでいるとか、実際に整体術をされているという方。


鍼灸の施術は、細かい技術を組み立てて、術とするわけですが、一つ一つの技は、小手先のことなのでそれほど技の習得は難しくない。
難しいのはそんな一つ一つの技の組み立てをどのようにして一つの術に落とし込むか、というところ。

技というのは、術者の内側のもの。
でも、術というのは相手に対してのもの。

技がうまくても、術として成立していなければ、施術の効果は生まれない。

術とは対する相手の状態に合わせて的確に技を繰り出す方法論のようなものですね。


戦闘機で戦闘機に向き合うとき、自動小銃でやっつけられるとしても、航空母艦には効果がない。
※たとえ話が稚拙で申し訳ありません。

鍼を施す深さ一つとっても、肌に効かせるのか、脈に効かせるのか、筋に効かせるのか、ということを見極めて技を施す術としての組み立てができてないと、鍼施術は効果を出せない。

だから鍼灸師さんは、そんな術の研鑽をして、相手にかなった術を手にしていくわけです。


ところが野口整体というやつは、まず技の習得が難しい。

技を繰り出す体は人それぞれ。

体の大きな人と小さい人、手の大きい人と小さい人、気の大きい人と気の小さい人。

性格や体格、性質や気質など、人それぞれにかなった技を自ら作り上げていく必要があるわけです。

そのためには、まず自分の体を常にフラットに保っておくことが必要。

ぶれないからだと精神を備えてこそ、いつも自分らしい技を繰り出すことができるようになる。


って、まるで修行僧のような生活をしながら生業とするってなると、野口整体で生計を立てている人って、よっぽど克己的なことが好きな人じゃないと、やっていけないですよねぇ。

そんなことを思い返しながら、当時、野口整体にかかわりながら、健康法や体の保ち方、カラダの使い方をずいぶん研究していたころのことを思い出します。


結婚当時、僕の持っていた包丁があまりにも切れないので、妻がびっくりしていました。
そんななまくら包丁でも、スパスパッと野菜を切っていく僕の技にもびっくりしていました。
※当時は玄米採食だったので、僕は野菜しか食べていませんでした。

結婚当初は僕がキッチンに立っていたのですが、徐々に料理好きの妻も台所仕事をするようになり、僕のなまくら包丁は姿を消しました。

また、僕も玄米採食から離れてから、あまりストイックに技の探求というやつもやめてしまいました。


そんな結婚と脈状診への学びのシフトがある前に、ずいぶんのめりこんで学んでいた野口整体の教室でいただいた資料。

さて、どうやって片をつけていこうかと、時間をかけて模索中。

最後までお読みいただきありがとうございます。


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