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【店舗を持つ価値】

博心堂鍼灸院の、いんちょです。

ぼくは、こじんまりと、ひっそりと、鍼灸院を構えています。
人づてに、ご紹介などでつながるご縁だけを頼りに、ながらくそんな店舗を構えている。


鍼灸施術は、直接人の体に触れて術を施す、という性質上、「場所」が必要。

店舗を構えていなくても、出張してクライアントさんの体のケアをしに行くという方法もある。

出張専門の鍼灸師さんもいらっしゃる。

だから、「店舗」をわざわざ構える必要はない。

施術をすることが、事業の目的であれば、ね。


今回の「感染症騒動」は、人と接触することが問題になっている。

鍼灸業は「緊急事態宣言」下でも、「休業要請」の対象にはならなかった。

これは、日常生活に必要な事業として、「残された」のかなぁと。


でも、鍼灸院を休業した人などは、「店舗」を構えている分、家賃や人件費などの捻出ができないと、困るのだろうなぁと他人事ながら、ちょっと心配。


今回、場合によっては「直接施術する」ということが、もしかしたらかなわなくなることがあったかもしれない。

そんなことを思います。

だから、ぼくが「店舗」を構えている目的が、「直接施術すること」であった場合、「店舗を構える」ことって、重荷にしかならない。


今後のそんな可能性を考えると、「事業として店舗を構える」ということについて、よくよく考えておかないとなぁと思います。

以前から「店舗を構える」ということに「疑問」を持ち続けていました。

「感染症騒動」にかかわらず、「鍼灸業」というのは「店舗を構える」必要性が本当にあるのかどうか、ということをずっと「疑問」に持ち、ぼくの「課題」として考え続けてきている。


「施術をするだけ」なら、前述したように「やりよう」によっては、「店舗はいらない」。

「施術をするだけ」の事業なら、「店舗を構えない」ことを前提にした方が、今後の「リスク管理」にもなるから、「そっちの方向」で考えていったらよいだろうなぁなんて思います。

「店舗を構えること」は「リスク」。


僕が考えているのは、「店舗」そのものに「意味」や「役割」を持たせることが「必要」ということ。

「意味」も「役割」も持たない「場所」なんて、「不要」「不必要」。


「店構え」が「中身のない張りぼて」だったら、なくてもいい。

以前、ひと目の着く場所で看板を出して「鍼灸院」を構えてみました。

「看板」と「店構え」にひかれていらっしゃる患者さんたちは、ぼくよりも「ほかの鍼灸院や業態(マッサージなど)」に通われた方が「かなう」だろうなぁというご縁ばかり。

このことから「僕のやる鍼灸は、『看板』や『(一般的な)鍼灸院』という『店構え』ではかなっていない」ということに気が付きました。

それ以後、ぼくは「施術する場所」として、今現在の「隠れ家」のような「場所」を「店舗」としています。


不便でアクセスがよくなくて、わかりづらい、ほんと「隠れ家」のような「場所」。

でもなぜか、そんな「隠れ家」が、とても役に立っている。

「鍼施術を目的に」お越しになられる患者さんたちの「滞在時間」が長く、「来院機会」がとても多い。


今回の「感染症騒動」を機会に、患者さんたちの「来院動機」をあらためて分析してみると、本当に純粋に「不調をケアする」目的の患者さんは、ほんの一部。

それよりも、圧倒的に「ご自分の居場所」として、来院される方が多かった。

「フラッと立ち寄る喫茶店」のように。

「コーヒーを頼む代わりに施術を受ける」っていう感じ。


「不安解消」の「おしゃべり」や「相談事」など、直接「鍼施術」だけでなく、「ご自分の居場所」で「くつろぎ」や「自分を取り戻す時間づくり」として、「隠れ家・博心堂鍼灸院」にお越しになられているみたい。


「鍼施術」が事業目的なら、「店舗はいらない」。

でも、「人の居場所」として「役割」をになっているなら、やっぱり「店構え」をしつらえておくことは、必要なんだろうな。

そんな風に「店舗」に意味を見出してみたこの頃です。

最後までお読みいただき、ありがとうございます。



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