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間違いがダメは間違い


「間違ってる!ダメ!」

と、強く怒る人、まだまだ世の中にはいると思います。

私自身、色々指摘する話を書いてきて、上手く表現しきれていない点も多いので人のことは言えない部分もありますが、

[間違ってることがいけないのではなく、
正しく受け取れてないことがいけないのである]

ということをしっかり理解できる大人が増えますようにと願って、今日の話を書きますね*⌒ω⌒


以前の記事でも何度か書いてきましたが、【ゆとり世代】の感覚は

「自分はこういう考えなんだよね。」
「なるほど。自分はこういう考えだよ。」
終わり

みたいな感覚なんですよ。勿論、かなりオーバーな表現をしてますが、
【自分の意見】
【他者の意見】
それぞれが存在していて、別にそれらを合わせる必要も無いし、他者の意見に対して干渉する必要も無いという感覚です。

当然、ルールやマナーといった、公共の場面においての迷惑行為などを中心に、
「その行動は良くないんじゃない?」
と、指摘し合うこともたまにはありますが、基本的に
「まぁ考え方は人それぞれだからね~」
というスタンスです。

【ゆとり世代】と一言で言っても、人それぞれ考え方も個性も様々、また初期、中期、後期でも結構感覚の違いが顕著に見えやすい世代でもあると思うので、断言するつもりもありませんが。


基本的に[人はそれぞれ意見が違う]という点においての理解があるからこそ、
[意見が違うからルールを守れていない]のか、
[マナーを知らないからルールを守れていない]のか
など、【秩序が乱れる根本の原因】の差や違いを何となく捉えている人が多い印象もあります。

だから何事においても、ただ闇雲に
「相手が間違っている!」
という観点で捉えていません。


ところが、ゆとり世代の親世代は必然的に
「意見は揃えなさい!」タイプが多く、育った家庭によっては、
「その意見は違う!間違ってる!」
などと主張が強くなってしまう人もいます。

こういう人は、ゆとり同士の中に入っていると、しれっとハブられることが多い印象があります。

少なくとも私の経験上では、ゆとり同士はゆるゆるしてる方が程よい距離感でいられました。


親世代と表現しましたが、社会に出て、上司など年上の人と絡む機会が増えると、必然的に

「その意見は間違ってるー!」

というめんどくs強い主張をされる機会も増えてしまいました。

🔻この記事🔻

でも書いた通り、学校では
「他者との違いを受け入れましょう、認めましょう。」
と習ってきていたのに、社会に出て突然
「あなたの意見が間違ってるー!」
と酷い怒られ方をしたりなんかして、ギャップに苦しんだ人も少なくなかったのではないでしょうか。

『えぇぇぇ…習ってきたことと違いますやん…』などと理不尽に感じながらも、
『くっそ、そっちがそうなら…』と、古い時代の価値観に合わせるようにしてきた人も多いと思います。

もしかすると、学校での教育と社会のギャップ、上司などからの強い批判を受け、心がダメになってしまった人もいるかもしれませんね。

どんなタイプであれ、

「古い時代の価値観は捨てていくぞ!」

と、いうエールを送るつもりで今日の話を書いていきます。


上の世代になればなるほど、

・自分が無意識に『自分と他者の意見は揃ってなければいけない』という思い込みを抱いていることに気付いていない
・『他者の意見のあらを探さなければいけない』と無意識に思い込んでいることに気付いていない
・『他者を叩くこと=偉いこと』だと思い込んでいることに気付いていない

こういう人が多いんです。

会社などの実生活に限らず、YouTubeのコメ欄にも大量発生してるのをよく見てました。


こういう、無駄な思い込み、しかも思い込んでいることに気付いていないせいで強い主張となり、

「その意見は間違ってるー!」

と、攻撃的に自分の意見を押し付けてくる人間が多いんですよ。

そして残念なことに、自分が意見を押し付けているということも自覚できない訳です。


それで、恐らく↑この手のタイプは変われない人間の方が多いので、こういう人たちをどうにかしようとは考えなくて良いと思うんですよね。

だけど、私と似たような世代~私より少し下の世代辺りの人たちに対しては

「かつて上の人から強く批判されたのは、あなたが悪かった訳じゃないんですよ!」

と、いうことを強固に伝えていく必要はあると思うんですよ。

思い込みが激しい人って、まじで意見の押し付けも強くなっちゃうんで、執拗な叱責しがちですよね。

それで、強く指摘される、怒られる→『自分がダメなんだ…。』って思い込まされて潰された人間、かなりいると思うんですよ。


私、そういう【無駄に潰された人】の中から、救われていく人間を増やさないといけないと思ってるんですよね。


大事なことなのでもう一度言います。

「上の世代の人からの強い批判、叱責は、あなたが悪かった訳じゃないんですよ!」


強固な思い込みが、無駄な叱責へと繋がってただけなんです。

冷静に考えてみてください。本気で注意しなければならない事柄で、守らなければ大変なことになる程の重要な事柄である程、怒鳴り散らす喚き散らす、ではなく[淡々とシリアスモードで伝えなければ逆に危ない]のは至極当然だと思いませんか?

それを過激に注意をしてくるのは、それは指導ではなく暴言なんですよ。


繰り返しますが、上の世代になるほど、
『自分と他者の意見は揃ってなければいけない』
『他者の意見のあらを探さなければいけない』
『他者を叩くこと=偉いこと』
と、いう間違った思い込みを抱いている人が増えます。その強い思い込みが攻撃性となって、自分と異なる意見の人への暴言となっているのです。


しかし、

人はそれぞれ意見が違う、揃わないのは当たり前の話です。

他者のあらなんて誰でも見付けられます。そんな中で私たち人間が心掛けなければいけないのは他者の良いところを見付けることです。

他者を叩くことだって誰でもできるんだから、偉い訳がないんです。他者を受け止める、大きい器を持てることが偉いんです。



勘違いから、無駄な攻撃してくるの、止めて貰っていいですか?

ただ、それだけの話になるのです。だから、上の世代の強い批判や叱責で落ち込んでしまった経験がある人は、その嫌な思い出を全て手放してみませんか?

と、私は伝えたいのです。


もしかすると、もうすっかりそんな経験のことなど忘れてしまっているタイプも多いのかもしれませんが、上手く昇華できずに拗らせているのだとしたら、その拗らせを解消するヒントになると思うので、この話を書いておきます。

必要な人に届きますように。


そして、ここからが話の根幹とも言えるのですが、やはり上の世代になるほど、

「それは間違ってる!ダメ!」

と、いう指摘の仕方をする人が多いんですよ。

まぁいつも言っていますが分母が多いから必然的に目立ってしまうという側面もあるんですけどね。

話を戻しまして、
[間違っていることがいけないこと]
ではないんですよ。

[正しいことをあるがままに捉えられてないことがいけないこと]

なんですよ。

この差って本当に微妙なんですけど、ここは履き違えない方が良いです。


[本来の価値を正しく受け取れないこと]も勿論残念とも言えるのですが、
[本来の価値を正しく与えられないこと]
も、とても残念で悲しい結果を招きます。

それを防ぐために、

[正しいことをあるがままに捉えられるように心掛ける]

ということはとても大事なことなのです。

だから、言葉が大事なんです。


噛み砕いて書いていきますね。


[本来の価値を正しく受け取れない]

先日、初詣に行ったときに、
「えー!末吉…嫌だ!引き直す!」
という声が聞こえたんですよ。

しばらくして、
「あ!やった!中吉に1個昇級した~♪」
と、どうやらおみくじを引き直して、ランクアップに成功したらしい声が聞こえてきたんです。

恐らく、本人は喜んでるので、それで良いんだと思いますが、正しくは

末吉→小吉→中吉
と、2ランクもアップしてるんですよね。

末吉→吉→小吉→中吉
と、3ランクもアップしてるという解釈もあるんですよ。

どちらにしても、昇級は1個じゃないんですよね…。


神社さんや、人によっては、
「おみくじを引き直すのは罰当たりです。」
と、考える人も多いので、私個人としては引き直しはそもそもおすすめしません。1度引いたものを真摯に受け止めるのが最良だという考え方です。

それをさておいたとしても、

[結果が嫌だったから、引き直した]にも拘わらず改めて与えられた幸運が、解釈によっては3ランクもアップしているのに「1ランク上がった~♪」としか受け取れていないのって…損だと思いませんか?

皆さんはどう思いますか?


勿論、喜べたのであればそれで良いんです。だけど、
『自分が受け取るものの価値は最大限に欲しい!』という風な考え方なのであれば、[正しく受け取る]って大事なのではないでしょうか。


[本来の価値を正しく与えられない]

以前私が書いた、
「参考になります。」
という言い方は止めましょう、という話で例えますね。

「参考になります。」
と、言ったり書いたりしてくれる皆さんが伝えたい気持ちというのは、
「為になる話をありがとうございます。」
って部分だと思うんですよ。

・自分の知識になって嬉しい気持ち
・教えてくれてありがとうの気持ち
これらを表したいのが本質だと思うんですよね。

ですが、それらをひっくるめる言葉として
「参考になります。」
と、言ってしまうと、

「粗茶ですが…」
と出していただいたお茶に対して
「粗末ですね!」
と返しているのと同じになるので、

せっかくの厚意に対する【厚いお礼の気持ち】のつもりが、【無礼な言葉】としてしか相手に受け取って貰えかねない訳です。

これ、悲しいすれ違いだと思いませんか?

皆さんはどう思いますか?


自分の気持ち、特に喜び感謝といった、幸福感が強い気持ちは最大限に相手に与えたいと思いませんか?

そういう場合に[正しく与える]っていうスキルがあると、本っ当に沢山の人と幸せをシェアし合えるんですよ。

だから、[言葉を正しく扱える]ことは自分のためにも、他人のためにもなる、素敵なスキルなんです。お得なんです。ラッキーでもあるんです。幸福でもあるんです。


間違った言葉を使うことがいけないのではなく、正しい言葉を扱えると人生が豊かになるという話が少しは伝わったのではないでしょうか。


ですが、残念なことに、世の中には
「日本語の乱れがー」
「国語力の低下がー」
という指摘しかできない人の方が多いんです。

悲しいですね。

言葉を使って人生を豊かにしている人の数が少ないんですよ。


わかりやすいかと思って【正しい言葉】という表現をしましたが、ルールやマナー、立ち居振舞い、自分の在り方…様々な部分

[あるがままに受け取る、与える]

ということが、私たち人間にとっての幸福と親密な関係があるのです。

間違えていることがいけないのではなく、正しくあることで得るものが増えるということが伝わると良いな、と思います。


この話が、必要な人に届き、収穫多き人生の糧となりますように。

古い悪しき価値観を一層していけますように。



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