(再掲) 制限せず、生きる意味を考える
「畜群道徳」という言葉があります。
「他人と同じように振る舞う。
モラルある生き方を真理とし、みんな同じになることを求めた基準」
ニーチェは「畜群」という言葉を使い、これを批判しました。
社会は、「モラルを守りなさい」と強要する。
故に、モラルは人の心に深く刻まれており、それを否定する相手に対し、大変嫌悪感を感じる。
しかし、考えたいことは、自分の今現在を規定するモラルや価値観は、本当に自分の中に刻まれ、確かなものであるのか。
もし自分が信じ込んでいる価値観が自分自身の可能性を制限する形で「生きる意味」を一義的に決めている時、その価値観の外側において、生きる意味が本当に存在しないのかも考えてもらいたい。
他人には理解できない生き方は孤独かもしれない。
しかし、私は共感できる。
自分にとって唯一の価値を見出しており、「自分の生」を意識しつつ生きていると感じる。
とても「自由」だと思う。
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