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怪異蒐集 『襖越しに猫と話す』

■話者:Yさん、会社員、30代
■記述者:八坂亜樹

 湯田沼に住むYさんの体験談。

 Yさんは両親から相続した一軒家に一人で暮らしている。複数の部屋を使うと掃除が面倒なので、Yさんは家にいるときの大半を一階の居間で過ごしていた。
 
 居間は狭い庭に面していて、垣根越しに隣家の縁側と和室が見えた。和室は隣家に住むおばあさんの部屋のようで、縁側に座って繕い物をするおばあさんの姿を何度か見た。隣家はおばあさんとその息子夫婦の三人暮らしで、日中はおばあさんが一人で留守番をしていた。
 
 YさんはIT系の仕事をしており、いつも自宅で仕事をしていた。仕事場所はやっぱり居間で、立ち上がったときにおばあさんの様子が見えることがあった。日中、おばあさんは一人だったが、まれに訪問者がやってくることがあった。

 黒猫だ。
 
 猫は縁側に上がり込み、和室の襖の前に後ろ向きに座る。猫がにゃあと鳴いて、気づいたおばあさんが襖を開けて煮干しを置いてあげる、そんな微笑ましいやり取りを、何度か目にしたことがあった。襖越しに、猫とおばあさんが会話していたこともある。

「にゃあ」
「ちょっと待って」
「にゃあ」
「いま開けるからね」
 
 そんな他愛のない会話だったと記憶している。

 やがて寒くなった頃、おばあさんの姿が見えなくなった。一度だけ、開けられた襖向こうの和室で布団に横になっているのを見た。病気になって床に伏しているようだった。
 
 襖は閉じられていたが、その襖の前に、猫が座っているのを何度か見た。襖の前に座った猫がにゃあと鳴く。それに答えるおばあさんの声は聞こえなかった。そんな猫の姿を何度か見かけた頃、Yさんは叫ぶようなおばあさんの声を聞いた。 

「気味の悪いことを言わないで!」

 驚いて立ち上がる。襖の前にはいつものように猫が後ろ向きに座っていた。やがて襖が開き、鬼のような形相のおばあさんが猫を睨みつける。

「どこかに行って!」

 おばあさんが猫に向かって叫ぶ。おばあさんと目が合いそうになって、Yさんはとっさにしゃがんだ。しばらくしてから立ち上がると、襖は閉じられ、猫の姿はなかった。

 それからも度々、おばあさんの大声は聞こえるようになった。猫を糾弾するような声がほとんどだったが、たまに壊れたように笑ったり、大声で泣いたりしていた。やがておばあさんは入院したか施設に入所したようで、和室は空になった。

 おばあさんの声が聞こえなくなってしばらく経ったあと、Yさんの家の庭に猫が来るようになった。おばあさんを訪ねていた黒猫だ。
 
 どうしていたか気になっていたこともあり、Yさんは家に入れて煮干しを分けてやった。それから猫はYさんの家を訪れるようになり、Yさんは猫を家に入れるようになった。

 ある日、いつものように居間で仕事をしていると、廊下に面した襖の向こうで、にゃあと猫の鳴く声がした。そう言えば午前中に家に入れてやったのを思い出した。忘れて襖を閉めてしまったらしい。
 
 開けてくれと催促しているようだが、仕事で手が離せず、Yさんは襖向こうの猫に声をかけた。

「ちょっと待って」
「にゃあ」
「いま開けるから、ちょっとだけ」
「はやく」

 ぎょっとした。猫の声が、明らかに人の声のように聞こえたからだ。手を止めて襖を開くと、ちょこんと座った猫がにゃあと鳴いた。Yさんは気のせいだったと思い、そのことはいったん忘れた。

 それからしばらく経ち、Yさんが居間で仕事をしていると、襖の向こうでにゃあと猫の鳴く声がした。今日は来ていたっけ? どうやら気づかないうちに入り込んでいたらしい。

「にゃあ」
「はいはい、ちょっと待って」
「にゃあ」
「ひと段落したら開けるから」
「にゃあ」
「まったく……いつの間に入ったんだよ」

 何とはなしに声をかけて、襖を開けようと立ち上がった。
 すると、

「おんながいれてくれた」

 そう声がして、立ち上がりかけた姿勢のまま動けなくなった。
 
 今のは猫の声だったのだろうか。
 以前も人の言葉のように聞こえたことがあるが、それと全然違う、長くて滑らかな人の声だった。Yさんは無意識に襖から一歩遠ざかった。すると、襖の向こうから再び声がした。
 
「はやくあけて」

「はやくあけてよ」

「あけてくれないなら、いい」
 
 黙ったままのYさんの耳に、冷たい声が聞こえてきた。

「おんなに、たのむから」

 Yさんは襖に飛びついて一気に開けた。襖の向こうには猫がちんまりと座って、緑色の目でYさんを見あげていた。猫はにゃあと鳴くと、Yさんの足元を通り抜け、庭に出てどこかへ行ってしまった。

 それからも猫はやって来たが、それ以来、Yさんは猫を家に入れなかった。そうして猫を無視しているうちに、気がつけば、猫はYさんの家に姿を見せなくなったという。


■メモ
・「おんな」がYさんの家に属しているものか、それとも件の黒猫とセットなのか、気になるところ。(朱音)
・なんとなく後者かな? 黒猫が呼んでる気がした。(水鳥)
・だとするとワンセットなのか。似たようなコンビが出てくる話があるかも?(朱音)→追記:それっぽいのあった。
・そういえば昔爺ちゃんに「襖越しに猫と話すな」って言われたことある。時間を無駄にするなって意味だったと思うけど。(朱音)
・ゼミの教授の論文にも出てきた。無駄に時間が過ぎるって意味だけど、みたま市独自の言い回しっぽいね。(亜樹)
・元々は違った意味だったりするのかも。(朱音)
・どんな?(水鳥)
・襖越しに話すと「おんな」が来るとか?(朱音)
・怖すぎる!(水鳥)

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