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ボイトレ講座2017中期

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声楽、合唱、ボイストレーニングについて書いています。
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(声を育てる心)
(続き)ポジティブな心と対立させることで安定し、最適なリラックスが得られる。これらは心を筋肉に活用させるための作業。歌は情操を育むが、声の成長は悪しき心と善の心が必要になる。きれいごとだけでは不十分。しかし教育では歌に「真善美」を求めるので最適ではない。

(声を育てる心)
声を育てる心はネガティブな心。劣等感や嫉妬心、怒りや憎しみや苦しさや恨み。ポジティブな心はあまり声を育てない。ポジティブな心は声の響きを霧散させるため音色の手数を増やす上では役に立つ。ネガティブな悪しき心を飼い慣らす力が必要。そして、そのネガティブな心を(続く)

(発声時の筋肉)
筋肉を制御するものは筋肉。筋肉同士の細かい加減で声は制御される。筋肉が無いと加減が雑になる。小さな虫をつまむときに筋肉が無いとつぶしてしまうことと同じ。発声は筋肉だが、才能で筋肉の部分をすでに満たしている人は脱力を強調する。発声の脱力は、筋肉があればこその脱力。

(才能と基礎の基準)
声楽の教授と同じやり方では上達しません。声の成長段階の基礎部分が1~10まである場合、教授は才能が多めなのでスタートラインが8や9です。1~7の部分でどのような操作・作業・制御が必要なのかを知識と実践で習得する必要があります。天才は凡才の気持ちを知りません。

(気息の停止)
発声の基礎は空気(気息)の停止にある。この空気は声道内の空気。歌おうとするときの気息はすでに流れ過ぎている。気息はきわめてゆっくりとした速度から始めると良い。歌うという行為は発声の基礎においては有害だと私は思う。発声時の空気の圧縮という物理法則が声の基礎。

(嫌われる要素)
合唱などの指揮者には嫌われる要素が必要になります。でも嫌われてはいけません。団体内の嫌われる要素を指揮者が個人的に引き受けると団員同士の対立を防止することができます。指揮者には嫌われる勇気や胆力が必要になります。優しい王様は失敗します。多くの優しさは弱さです。

(軟口蓋の開き)
軟口蓋は開けません。また閉じるでもありません。両方を同時に同量行います。基本的に声道を狭く感じながら練習し、少しずつ最適な狭さを探します。この最適な狭さは、母音・子音と母音の組み合わせ・音程・言語などの状況に応じて変化します。開けるとは最適な狭さを探す調整です。

(直線的な声)
続き…などは、様々な角度から喉頭を鍛えます。きれいな発声練習の延長線上にきれいな声はありません。あるとしたら息で逃がした脆弱な声です。発声練習では段階に応じた「汚い声」の練習が良い結果につながります。

(直線的な声)
発声で直線的な声を否定する人は多いですが、練習の段階では必要な声です。直線的な声から曲線的にジラーレさせることに意味があるので最初から声を曲げると悪い癖がつきます。鑑賞向きではない声、例えば「力んだ声、吠えた声、叫んだ声、直線的な声、硬く首を絞めた声」など(続く)

(自然と不自然)
アッポッジョは楽器作り。発声の基礎はある意味で表現との隔たりがある。無機質であり、無感情な作業を経過する必要がある。感情が声になるという発想は段階によるので慎重に判断するべき。発声に自然を求めると基礎に不安要素が残る。発声は不自然であり、建築物の基礎といえる。

(口からか鼻からか)
ブレスは口と鼻どちらでも良い。音と音の間で時間が無いときは口からで、それ以外は鼻で行うみたいな感じで良い。ブレスで大切なことは口とか鼻では無く、空気を一瞬でつかむという意識。口や鼻の直近の空気は”吸う”意識を持つと深く吸えない。吸うではなく、つかむと良い。

アッポッジョは”相互支持”。”支える”という発想は一方に力が流れる可能性があるのでやや不適切。

(性格と高い声)
高い声を出すためには性格が大切。狂気を引用する性格が高い声を可能にする。常識的な感覚のままだと喉を保護するために最高音の手前の手前ぐらいで、自分から無意識的に出すことをやめてしまう。喉の保護は声道全体と首の筋肉で行う。高声は”出せない”より”出さない”人が多い。