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最期、子供の様に笑う

私が建築・不動産関連の会社に勤めていた頃、

T氏は親会社の大企業を定年退職し、子会社の私が勤めるの会社の副社長に就任しました。

親会社を定年退職して子会社の要職に就くことは、当時は珍しく無く、

私が勤める会社の副社長は数年おきに、親会社を定年退職した人が、代る代る務める、ならわしになっていました。

副社長になった歴代の方々を色眼鏡で見ていた訳では無いのですが、

親会社は化学の会社で、子会社は建築・不動産、畑違いの事業内容です。

当然、歴代の副社長は、化学会社の社員としてのスキルや、大企業の社員としての見識はあったのでしょうが、

この子会社の様な中小企業での立ち回りや、異業種での知識・経験不足は如何ともし難く、着任すると程なく皆、副社長室のオブジェと化しました。

歴代副社長は、再雇用の意識が強く、何年かオブジェを勤めて引退だ、と思っている様に映りました。

しかし、T氏は一味違いました。

何でもかんでも、首を突っ込みます。
あちらのプロジェクトにも、こちらの現場にもズカズカと入り込んでは口を挟み、激を飛ばします。

しかし、その積極性に問題解決の意識は無く、我此処に在り!という自己アピールであることが、周知されるまで然程の時間はかかりませんでした。

度々、社員の手を止めさせ、
だからお前らはなってない、
仕事の仕方がなってない、
企業は縦だ、ボスは絶対だ、
といった訓示というか、説法というか、
とにかく日々ぶっ放していました。

歴代副社長の中で、元気はT氏がぶっちぎりの一番でした。

数年が過ぎ、T氏退職の送別会で、T氏は、「私が立て直したこの会社を、あとは君達に任せた」と挨拶しました。

時代が良く、毎年グングン業績を上げる最中、T氏は着任しましたので、時系列を見るとT氏の在任中は確かに右肩上がりではあります。

しかし、建て直す程、傾いていた事実は無く、
有り難い説法の記憶しかない社員は、目を白黒させたり、苦笑いしたりでした。

そんな困った人でもあり、どこかユーモラスで憎み切れないT氏のお宅に、所用があって、送別会の1年後、訪ねる機会がありました。

体調を崩しているとの事前情報はあったのですが、奥さんに促されて、リビングに入って驚きました。

そこには、生気のない、虚ろな老人が座椅子に座っていました。

随分小さくなっていましたが、T氏でした。

私が現れたことには、何の感慨も無いらしく、話しかけても返事はありませんでした。

ただ、お暇する際、私が立ち上がると、微かに会釈をした様に見えました。

リビングから出て、奥さんから聞いたのですが、退職して半年程で、今の様な状態に陥ったという事です。

する事が無い、と言い、1日中トイレと風呂以外は座椅子から動かない日々を送っていた、と言います。

うつ病との診断が下りたとのことでした。


時代背景もあるでしょう。
家庭環境もあると思います。

T氏は、心の中に、確かな【自分】という意識が育っていない様に思うのです。

T氏は有名大学に現役で合格し、卒業しています。

猛勉強のエピソードも、T氏本人から何度も聞いています。

その後は、子会社の副社長になるまでは、親会社一筋に勤め上げた訳です。

その企業戦士振りも、本人から聞いています。

T氏は、私の部署によくふらっと立ち寄りました。

話し始めると長いので、私は警戒していましたが、度々捕まりましたので、

T氏の歴史には、かなり詳しくなってしまいました。

開業医の家に生まれ、二人の兄は揃って医者だそうです。
三男のT氏は中学までは、平凡な成績で、常に優秀な兄達と比較され、
高校受験で第一志望の高校に落ちた事で、発奮し、人が変わった様に勉強し、有名大学に合格したとのこと。
今では兄達よりも成功している、と何度も聞きました。

捕まって何度も話しを聞くうちに、エネルギーの出処は、比較され、馬鹿にされたことに対する怒り、恨みなんじゃないか、と思いました。

そして、なんとなく、情緒的に欠け落ちている様な印象を持ちました。
状況の描写は細かいのですが、どんな感情を持ったのか、嬉しかったのか、悲しかったのか、腹が立ったのか、そういった事は、話しに出て来ない印象が残ったのです。

T氏は優秀な兄達と常に比較され、そのままの自分を受け容れられず、心に【自分】が育つ事が無いままに、成長した様に思います。

そんな人が、大企業に勤め、出世レースを、兄達や親を見返す為に奮闘した受験戦争そのままに、負けるものか、と頑張り続け、

【自分】が無いままに、初めて手に入れた【自分】は、会社に於ける役職、つまり、役割由来のアイデンティティだったと思うんです。

【自分】が先ずあって、【自分】の一部分の役職では無く、
役職が【自分】、役割アイデンティティが【自分】の全て、

つまり自分の人格を役割アイデンティティが乗っ取った状態のまま、生きたのだと思います。

自覚は無いと思います。
自覚が無いからこそ、そうなる、とも言えます。

抜け殻の様な姿は、
退職した、というよりも、全人格を失った、とも言える出来事がT氏に訪れた結果だったのだ、と思います。


その後、T氏は、甥の薦めで海岸べたの散歩を始め、そこから、釣りを始め、

なんと、奥さんに「釣りが楽しい」と子供の様な笑顔で話す様になったと聞きました。

「釣れなくったっていいんだよ、日がな一日釣り糸をたれて、風に吹かれて海を眺めて、それがいいんだよ、釣れたらもっといいけどな」
と言って笑う、と聞きました。

抜け殻の様になったT氏を見ただけに、話しを聞くうちに、なんだか目頭が熱くなりました。

話す奥さんの目にも光るものがありました。

T氏は80才で旅立ちましたが、晩年に子供の様な笑顔を取り戻した人生の終幕は、

とても素敵だ、と思うのです。




読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム

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