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慣れ親しんだ世界から「異端」の烙印を捺されるということ

私の親類というと母方の兄弟姉妹その子供達(いとこ達)、そのまた子供達になります。

父方の家系は戦争や事故など色々な事があって誰ひとり残っていません。
探せば、かすかに血の繋がりのある人もいるのでしょうが、会ったことも無い遠い親戚を探す事など無いでしょう。

父も私が高校生の時に他界しました。

なので、私の親類は母方のみです。

母は兄弟姉妹が母を入れて七人、母は四番目に次女として生まれました。

現在では年齢順に上から三人が亡くなり、存命の四人の兄弟姉妹では母が一番年長です。

母が一昨年、緊急入院し、介護が必要になったため、私は長年暮らした土地から、母の住む故郷に戻って来ました。

私は故郷から離れた数十年の間に、自分が虐待されていた事実に気づき、自分と向き合い、随分変わりました。

数十年ぶりに、母や親類達の中に入ってみると、懐かしい気持ちなど、ものの数時間で消え失せ、違和感しかありませんでした。

私は自分が虐待されていたという事実に気が付いたのは、四十歳を過ぎてからですので、かつて故郷で過ごした子供時代には、

母も親類も、それは暖かい人達だと思っていたのです。

ところが、私が随分変わったことによって、子供の頃には見えなかったことが、ひとつひとつ見えて来ました。

今となっては、この集まりの何処を見て「暖かい」と思っていたのか、もはやわからないのです。

お互いがお互いを信じてなどおらず、疑いと不信を抱きつつ、親戚だから、兄弟姉妹だから、いとこ同士だから、という立場を守るための予定調和にがんじがらめになっている事によって生じた、自分達の不愉快さを押し殺し、

押し殺し切れなかった不愉快が、時折姿を現すのを見て見ぬフリする、表で仲良く、腹でいがみ合う、

そんな集まりなのが、今の私には、はっきりと見て取れました。

人が集まれば、例え兄弟姉妹でも馬が合う、合わないは有るでしょう。

しかし、そんなことでは無い、もっと湿り気を帯びた空気なのです。

私はこの空気を知っています。

疑いと不信をひた隠し、愛のある場所と思い込まなければならない、この空気を私は知っています。

この淀んだ空気は、私が育った機能不全家庭の空気です。


機能不全家庭は世代間で連鎖します。

私の家系は機能不全の家系なのだと改めて認識することになりました。

母を入れて七人の兄弟姉妹が其々に家庭を持ち、もうけた子供(私のいとこ)が二十人ほどいます。

その中に、
自ら人生に終止符を打った者がいます。
失踪して行方知れずの者がいます。
何十年も精神科に通う者がいます。
顔面が般若の様になる発作を抱える者がいます。

本人の自覚の有る無しはわかりませんが、いとこ二十人の中で、「生きづらさ」を抱えていない者が何人いるでしょうか。

集まれば、「楽しそう」にします。
でも、皆んなして感情が伴わないのが透けて見えます。

子供の頃、「楽しそう」にすることは、得意でした。
本当は不快でたまらないのに、「楽しそう」なフリをすることが上手でした。

それが当たり前だったので、親の顔色を見て、周囲の雰囲気を捉えて、場の空気を読んで、ほぼオートマチックに「楽しそう」にしてました。

でも、親戚達と集まって、自分にはもう出来ないことがわかりました。

この集まりの中では、異端であることを自覚しました。


機能不全家庭に育った人が、

「生きづらさ」に気が付いたなら、

育った家庭のみならず、

その「家系」において、「異端」になってしまいます。

なぜなら機能不全家庭は連鎖するからです。


しかし、どうか不安にならないで下さい。

機能不全家庭の空気に気が付いて尚、脱することを選ばない人は沢山います。

それは、その人の選択であり、責められるべきことではありません。

自分の人生を選ぶことに、正誤、優劣、は無いのです。


ただ、「生きづらさ」を手放すことを選択した人は、

これまでの環境から見たら「異端」であり、

その変わってしまった立ち位置からは、戻れない様です。

戻れないということは、

「生きづらさ」を手放したなら、

もう、引き戻されることは無いということです。


そこには、

「確かな【自分】という意識」を持った自分が在り、

そこには、

自由な感情を感じ、

自由な感情を表現する自分がいます。


慣れ親しんだ世界から「異端」の烙印をおされることは、

解き放たれることと同意だと思うのです。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


NAMIDAサポート協会カウンセラー
伴走者ノゾム






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