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機能不全家庭で意識と無意識の狭間に起きること

機能不全家庭には、嘘と秘密がつきものです。

それは、
機能不全家庭における親子関係自体が、嘘と秘密で出来ているからです。

親も子も、その事には気が付きません。

親もかつて幼い頃に尊重される経験無く機能不全家庭に育ち、
子は自分の家庭しか知らないのですから、
気が付き様が無いのです。

親は機能不全家庭に育って生きづらい人になりました。

生きづらい人が気が付くこと無く、家庭を持ち、親になったのです。

親になっても、生きづらさは抱えたままです。

ほとんどの場合、
自分の生きづらさには、気が付いていないか、

或いは、

意識と無意識の狭間で、抱える生きづらさから目を逸らしています。

生きづらさの原因は、幼い頃の親との関係に深く傷ついた時に、
心にべったりと貼り付けてしまった無価値感です。

人は自分が無価値であるという事に耐えられません。

勿論、
価値が無い人など本当は存在せず、「無価値感」は、否定的な扱いをされるうちに心に貼り付けた、単なる思い込みに過ぎないのですが、

それでも人は自分が無価値である、という感情を、どうしても直視したく無いのです。

しかし、
自分が無価値であるという感覚や生きづらさを、肩替りしてくれる人は当然居ないので、

苦しいまま苦しくないフリを、他人にも自分にも、して見せながら誤魔化し誤摩化し生きて来て、

そして、
親になり、見つけます。

生きづらさをそっくり背負ってくれる存在を、です。

何をしても、慕ってくれる、無抵抗で無力な存在、
それが 我が子 です。


親は子に、自分が抱えた生きづらさを、そっくり、その小さな肩に背負わせます。

その背負わせ方は、
言葉で態度でその子の価値を貶めます。

我が子を価値の無い存在として扱うことで、相対的に、親は自分の価値が上がった様に感じます。

それは、
錯覚でしか無く、我が子を貶める事で得られる効果は、その場限りです。

だから、
自分の無価値感から逃れる為に、親は子を、来る日も来る日も貶める必要が有るのです。

そして、それを、
あろうことか、親も子も愛情と錯覚します。

奪っている事が、与えている事にすり変わってしまうのが機能不全家庭です。

先に触れましたが、
これは当事者の意識と無意識の狭間で起きる事なのです。

意識の上と捉えれば、嘘であり、
無意識と捉えたなら、錯覚です。


私はかつて親から貶められる役割の子でした。
つまり虐待されていました。

その立場から言うと、
それでも親を信じていましたし、慕っていました。
自分は、人並み以上に愛されていると思ってました。

しかし、
信じていたのに、ひっかかりが有りました。
慕っていたのに、チクッと胸が痛みました。
愛されている筈なのに、いつも苦しくて、寂しくて、胸が張り裂けそうでした。

心の奥底では、気づいていたのだと思います。

気づいていながら、目を背けていたと思います。

それは、
やはり意識と無意識の狭間の出来事としか言い表せない感覚なのです。

私の親も同じ感覚は有ったのだと思います。

自分の生きづらさから逃れる為、我が子を利用している事に、心の奥底では気づいていながら、
見て見ぬフリをしていたのだと思います。

知っていて隠すから、機能不全家庭には他言無用の秘密が有るのでしょう。

私の親は老人になりましたが、いまだに自分は良い親だとも思っている一方で、
実は我が子を利用していたという後ろめたさを隠し持っている様に思うんです。

やはり、意識と無意識の狭間に大きな矛盾を抱えている様に思います。

機能不全家庭は、
利用しながら、愛と言い、
冷え冷えとした家庭を、暖かいと言い張り、
溢れ出た矛盾を、他言無用の秘密にして成り立っているのです。

だから、
心が軽やかになることは有りません。


しかし、
家族みんなが、嘘と錯覚の狭間に立って、恐れながら守った家庭の真実を見る事は、

実は、
単なる思い込みを取り払うだけの事であり、
いつからだって出来るのです。

軽やかに人生を歩みたい、と望むならば、

必要なのは、

真実を見つけ、真実を見つめること、

恐れず、払って、選び取ればいいのです。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム

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