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海と谷と沼を歩いた先に見えたもの 自分の機嫌は自分でとる


歩んだ道


自分の機嫌は自分でとる、これ、誰が最初に言ったのかは、存じ上げないですが、わりとよく耳にします。

…と書いて、気になったのでググったら、お笑いタレントの みやぞんさん が、テレビ番組の中で言ったのが、最初らしいです。
みやぞんさん…深い。

NAMIDAサポート協会カウンセラー
心の伴走者ノゾムです。

自分の機嫌は自分でとる。

メンタル・セルフ・コントロールを端的に、和風に、そして、優しく言った感じでしょうか。

よく耳にすると言うことは、機嫌よく過ごすコツを探している人が多くいらっしゃると言うことでしょう。

私、ノゾムは機能不全家族に育ち、安定した心持ちとは縁遠いまま大人になり、縁遠いまま、おじさんになりました。

おじさんになって久しい、ある時、こんなに生きづらいまま、一生過ごすのは嫌だ!と思い、自分にとっての心地よさを探し始めました。

いろんなことを、やりました。

自分なりには、真剣。
自分としては、必死。

心理学、自己啓発、スピリチュアル…。

渡り歩きました。

それらが良くないと言うことではなく、どれも有効なのですが、こちらの心の状態とか、触れる順序とか、諸条件あると思うんです。

渡り歩いた年月、いや、長かったです。

テープ式心理学に出会って、やっと自分と向き合うことが出来、生きづらさを手放すことが出来たと思える今だから、改めて振り返ると、いろいろ気付く点もあります。

そもそも、自分と向き合うつもりで、向き合えて無かったんだな、と思います。

当時は、正面から向き合っているつもりだったんです。
でも、今思うと、少しズレていた、焦点がボケていたんだ、と思うんです。

そして、途中からは、受験生よろしく、受験勉強の様なインプット地獄にハマる訳です。

そしてマズいのは、ハマっている最中はズレ気味なことには、気がつかないということです。
ある種、高揚感にも似た、インプット・ハイ状態に陥ったりします。

マズいです。(汗)


心理学の海


私、ノゾムが、最初にハマったのは、心理学でした。

日々是、インプット。

ユング、フロイト、アドラーが友達です。

勝手に、一緒に居酒屋で酒を酌み交したような、親しみを感じておりました。

ユンさん、フーちゃん、アドやん、なのです。

勝手に仲良しになるまでは、いいとしても、

始まるんです、病名探しの旅が。

自分は○○病、それとも○○症、いやいや○○障害…。

自分が何者なのか、が、わからないまま生きた私、ノゾムは、病名にアイデンティティを求めるかの様な心境に陥ってしまいました。

ここで、私、ノゾムがした選択の中で、よくぞ選んだ、という事があります。

それは、病名をもらいに行かなかったこと。

病名をもらったら、依存的な自分は、病名を生きづらさの理由にしてしまい、
生きづらさを無くし、心地よく生きるという目的には、辿り着けないんじゃないか、

病名とは向き合っても、自分と向き合うことを忘れてしまうんじゃないだろうか。

そう、思って、医療機関には行かなかったのです。

これは、私、ノゾムの一世一代のファインプレーだと、今も思っています。

ここで、病名をもらっていたら、ノゾムのことです、その病名の上に胡座をかいて座り、二度と歩かなかった様に思います。


自己啓発の谷


病名には頼らないと決めたノゾムは、反動で軸足を自己啓発へと移します。

自己啓発は、巨匠達と仲良しになった心理学と比べると、傾倒した期間も度合いも少ないので、ノゾムの理解が浅いと言う事もあるかも知れませんが、

自己啓発は本人の意思によって自分の能力を高め、心の成長を目指すもので、

生きづらさを無くす際の、そのままの自分、そのままの心を受け入れるプロセスを終えた後に、 

取り組むことなら、取り組む性質のもの、だと思っています。

生きづらさを抱えたノゾムにとっては、前十字靭帯を損傷しているのに、走り込みをする様な感覚がありました。

…無理。

痛い、というか、キツい、というか、辛い。
あっ、今の自分に、これは違うな、と。


スピリチュアルの沼


痛い目にあったノゾムは、また反動で、今度はスピリチュアルの世界に軸足を移します。

ノゾムには、耳に優しく、心地よく、ついつい自分と向き合う前に、外に注意が向います。

○○星だし、○○の時代だし…。

ワンネスを思うあまり、この物質世界を生きる術がおろそかになり、上司から怒られたり、

いつの間にか、神をも越える、全方位的に完全なる人格者になろうと、たくらむ自分に気づいて慌てたり。

ちがう、ちがう、いかん、いかん。

ノゾムは、生きづらさ考える時、スピリチュアルは連なるものとして、切っても切れない関係性だと思っています。

けれども、生きづらさを抱えた人が、その生きづらさから脱しようとするならば、先ず向き合わなければならないのは、自分の心の傷だと思うんです。


それが、ぜんぶ


テープ式心理学には、明確なゴールが定められています。

それは、

感情を自在にコントロールし、望む人生を自由に歩むこと。

心理学なのに、

はい、この状態になったら卒業です。

というゴールがあるんです。

ゴールしたら、この状態になったら、
元の生きづらい状態に戻ろうと思っても、戻れないんです。

冒頭にお話しした、
自分の機嫌は自分でとる、はメンタル・コントロールだ、ってお話し。

このエッセンスがテープ式心理学には、ふりかかっています。

ゴールの定義の、前半部の感情を自在にコントロールし、は主にスキル。

スキルとは言っても、自分と向き合うことから始まる先の感じ方、気づきのヒントを一言にまとめている意味での スキル です。

後半部の望む人生を自由に歩むこと。はマインドに向いている様に思います。

自分と向き合ったり、気づきを得たりすることの目的地はどこですか、どうなりたいから、そうしているんですか、と言う、道しるべです。


そして、テープ式心理学はスピリチュアルのワンネスや、インナーチャイルド(統合)ワークの理念とも親和性があります。

心について、悩んだり、考えたりしたことのある人は、感じることかも知れませんが、

ノゾムはいろんな迷路を彷徨ううちに、心理学もスピリチュアルもメンタルトレーニングも、いろんなことが、うっすらと繋がっているな、と思う様になってたんです。

でも、どこがどう繋がっているのか、どこから入ってどこがゴールなのか、はわからなかったんですが、

テープ式心理学に出会って、全部、腑に落ちました。

そして、機能不全家族育ちの、私、ノゾムは生まれて初めて、心地よく生きる術(すべ)を手に入れました。


自分の機嫌は自分でとるもんだな、と思い、

ぜんぶ繋がってるもんだな、と思ってます。

自分と向き合うことが、はじまりで、
自分と向き合うことが、ぜんぶ、
かも知れません。


NAMIDAサポート協会カウンセラー
心の伴走者ノゾム




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