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人は傷つく仕組みになっている

人は必ず傷つく仕組みになっています。

心に傷を負わない人は、存在しません。

傷が浅ければ、それは、その人の個性になります。

深く大きな傷であったなら、一般的に言うトラウマになります。
「生きづらさ」を背負い込む原因になるのです。

小傷で済むのか、深く大きな傷になるのか、

それを分けるのは、

そこに【尊重】が有るか否か、です。

人が生まれて育つ、その環境に【尊重】する構えが有るのか無いのか、なのです。


家族であっても、個が集まれば、意図せず傷つけたり、傷ついたりする事は必ず有ります。

しかし、そこに愛が有れば、傷は深くなる事は無く、

傷ついた事すら、経験となり、個性を形成する元になります。

愛を持って対象と関わる姿勢が、【尊重】なのではないでしょうか。


機能不全家庭に於ける親子の関係に欠け落ちているのが【尊重】です。

では、機能不全家庭に身を置く親子には愛が無いのでしょうか。


私は愛の無い人などいない、と思っています。

なぜなら人は、光りを放つ愛のかたまりとして、この世に生まれ落ちます。

しかしながら、生まれ落ちた、この物質世界には、望まない出来事も起こります。

傷つける人、欺く人も現れます。

人は愛のかたまりのままでは、どうしても物質世界を生き抜くことが出来ません。

だから人は愛と、物質世界を生きる術、のバランスを取りながら生きるのだ、と思うのです。

愛そのものの存在として生きることが出来ない物質世界で、愛を放つことは、

それだからこそ尊いと思うのです。

私達は時に愛を、時に生きる術を、使い分けながらバランスを取って生きる存在なのだと思っています。

言い方を変えるとポジティブとネガティブ、陽と陰、などとも言えます。

強い光りが深い影をつくる様に、表と裏の関係性だと考えます。

機能不全家庭に身を置く人は、親も子も、望まない出来事が重なって、愛を見失った状態だと思うのです。

見失っただけ、隠れてしまっているだけで、心の奥に、その人の愛は有る、と考えます。


子供を尊重していなかった、と気づいたならば、

気づいたその事が既に尊いのです。

見失った愛は、すぐ傍に有ります。


尊重する方法、術を探さないで下さい。

探すべきは、自分の中の愛なのです。

自分の中の愛を探すことと、自分を愛し、自分を尊ぶことは、イコールだと考えます。

かつて尊重されることの無い環境に育ち、愛を見失いました。

自分を尊ぶこと無く生きました。

自分を愛せない者は、他者に愛を向けることは出来ません。

自尊の気持ちを持てなければ、他者を尊重することから離れてしまいます。

先ずは、過酷な環境に負けずに生き抜いて来た自分に愛を向けて下さい。

自尊の気持ちが息を吹き返したなら、同時に他者を尊重する様になります。

自分を愛して、尊ぶ時、
嫌でもこの子が、愛しく、尊い存在であることを思い出します。


この子を尊重すること、は愛を持ってこの子を見つめること、です。

気づいたのですから、

隠れていた愛は、傍らに有るのです。


親が隠れていた愛を見つけた時、

お子さんは屈託なく笑います。

その子の心の傷は、

その子の大切な個性に変わります。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム





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