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感情が動かない

生きづらさを抱えてしまった人が、

生きづらさを手放そうと思う時、

自分と向き合うことが求められます。

しかし、生きづらい人は、

自分の感情は、良くないもの、という思い込みを持っています。

感情を生み出す自分自身を嫌っています。


感情を、良くないもの、と思い込んでしまったのは、

湧き上がって来た感情を、ことごとく否定される幼少期を過ごしたからです。

悲しくて涙が溢れたら責められ、

嬉しくて、はしゃいだら責められます。

悲しくなってはいけないんだ、
嬉しくなっちゃいけないんだ、

感情は、良くないもの、なんだ。

あんなに責め立てられなければならない程、良くないもの、を生み出す自分は、

とんでも無く、悪い子、なんだ。

だって、泣きたくなったら、お母さんは「泣くな」って言うし、

はしゃいだら、お父さんは、「うるさい」って怒鳴るんだ。

泣きたくなっちゃう自分は悪い子だ、

はしゃいじゃう自分は悪い子なんだ、

自分なんて、大嫌いだ。


生きづらさ、とは、平たく言うと、自分を嫌っている状態、です。

自分と向き合う、とは、どうして自分を嫌ってしまったのか、付に落とす為に、自分の心を真っ直ぐ見つめる、ということです。

しかし、親から否定され、自分自身も良くないもの、と思い込んで、

ずっと見て見ぬふりをして、心の奥に閉じ込めてしまった感情は、なかなか見つかりません。

感情は、とうの昔に固まって、今ではとても動き難く、感じ取り辛くなってしまっています。

感情が活き活きと動いているのに、生きづらい、という人はいませんし、
生きづらいのに、感情をみずみずしく感じ取れる人もまた、いないのです。

感情を感じ取ることが出来ないと、人生は他人事に思えてしまいます。

感情が動くから、活き活きと生きることが出来るのです。


自分と向き合う目的は、感情を本来の、川の流れの様に常に動く状態に戻すこと、と言えます。


感情が滑らかに動く人は、常に、感じて、います。
感じて、から、考え、行動します。

感情が固まっていたら、感じることが出来ませんから、感じることをすっ飛ばして、いきなり考えます。
そして、行動します。

アスリートが、『ゾーンに入る』などと表現される状態は、先ず感じて、考えることを飛ばして、行動する感覚です。

感じること、は光の速さ、です。
比べて、考えること、は鈍重なのです。

だから、『ゾーンに入る』という状態は、感じること、と行動が、直結した感覚と言えます。

生きづらい状態とは対極にある、のです。


生きづらい人は、生きづらさに気がついて、それを手放す為に、自分と向き合おうとしても、

感情が動かないので、どうしたら良いのか、途方に暮れてしまいがち、です。

その入り口が見つからない時、試してみて欲しい方法があります。

どちらかと言うと、メンタルコントロールのテクニック的なことにはなりますが、

発生した感情を見つけることが難しいのですから、

目の前の出来事に対する、自分の行動の【動機】に着目して欲しいのです。

努めてロジカルに、です。

自覚の有る無しに関わらず、生きづらさを抱える人は、間違い無く、感情が固まっているのですから、

動き辛い、感情、に辿り着くテクニックとして、出来事に対する自分の行動の動機は何なのか、ということを、論理的に考察する、のです。

たとえば、受験勉強する子供を、親が励ます、という親子が二組、在ったとします。

どちらも傍目には、同じに見えるかもしれませんが、

心理的に成熟した親は、その子の頑張りを掛け値なしに応援します。
幼かった子供がいつの間にか、目標に向かって進む様になった姿に、子供の成長を感じ、頼もしく、いじらしく、尊く思い励まします。

心が未熟な親は、その子の頑張りには頓着無く、受験の合否が最大の関心事、です。
親に自覚は無く、自分は子供を思えばこそ、と信じ込んでいますが、子供の合格の先には、一流校に入った、優れた子供の親、という評判がチラついています。 
心が稚いということは、本当の愛情には届かない、ということです。

受験する子供を励ます、という同じ行動を取っても、
心が成熟した親は、真に子供を思うことが出来ますが、
心が未熟な親は、子供を自分の役に立つ存在、と無自覚ながら感じている、ということなのです。

成熟した親が子供を励ます動機は、真に子供を思って、のことであり、
未熟な親の動機は、自分のため、なのです。

同じ出来事があり、同じ行動があっても、
動機には、大きな違いがあり、

動機に着目することは、

感情が動き辛いとき、

論理的な思考から、情緒的領域に踏み込む助けになる、と思っています。

感情が動かないから、生きづらく、

生きづらいから、感情は固まっているのですが、

長く苦しんでも、辿り着く術は必ずあります。

何故なら、生きづらさは単なる思い込みに過ぎず、

その幻の様な思い込みを取り払ったならば、

そこからの心の回復力は、

測り知れないのです。

苦しみは長く続いても、

必ず光りに届きます。


読んで頂いてありがとうございます。
感謝致します。


伴走者ノゾム


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