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私が私を私から取り戻した話

 先日娘二人と3人で旅をした。この旅には自分的に大きな意味があったから、どうしても行きたかった。伝わるかわからないけど、その意味をここにメモっておく。

老後への備え

 私の中には昭和の人たちが呪文の様に唱えてきた言葉が染み付いている。少し前まで同じことを自分も言っていた気がする。例えば一度妻や母親になってしまったら、夜一人で出かけると「お子さん、誰が見てるの?」って尋ねられたり、旦那さんを家に置いて出かける奥さんが「夫に許しを得て出てきた」って言ってたり。私の中にもそういう気持ちが少なからずあって。我慢ではないけれど、自分のしたいことを一旦置く癖がついていた。人に言われたくないから、というよりも自分の中に「夫や子どもに申し訳ない」という謎の罪の意識が刷り込まれていたんだと思う。

 いよいよ子どもたちが全員成人して、夫と二人の生活が始まる。夫には何も不満はないけれど。夫も私も昭和生まれ。私と同じ様に夫も前述の様な言葉に触れて生きてきた。妻はいつも家にいて夫子どものために尽くすべき。そんな時代を生きてきた。だから、少なからず夫の中にも私の中にもあるこの間違った価値観を丁寧に見直していく作業が必要だと思っている。今の私が求める結婚生活は1+1の関係。一人一人の世界を持つ二人が一緒になって、二人の世界があるという考え方。理屈では分かっている。でもこれが自分にとってもかなり大変なことだという意識はある。

 そんなこんなで、私はまず自分の中の「夫に申し訳ない」という気持ちに自分が耐えられるかをこの旅で試してみたかったのだ。

旅の計画から実行まで

 とはいえ、以前娘たちと3人旅をしたことがある。コロナ前。その時は夫が息子とフェスに行くという計画があっての、女子3人旅だった。家族が二つに分かれてそれぞれの好きな分野で楽しむ企画。これには特に私の中でも抵抗はなかった。誰かを「置いていく」感覚がなかったから。

 でも今回は違う。コロナで4年も大好きな海外旅ができなかった自分自身の中で願望はパンパンにはち切れんばかり。娘と日頃話す中で「韓国だったら近いし無理なく行けそう」という結論に至るものの、私たちがしたい旅はカフェ巡りやショッピング。夫や息子とはかなり違うテイストになりそう。そうだ、ここで「私個人を喜ばせること」にフォーカスしてみようと思い立った。

 結婚前、私は期間を設けず海外のいろいろな国をバックパッカーとしてうろついていた。一人、自分との対話や自分の思うままに動く自由を満喫していた。それから結婚して家族が増えて。いつの間にか自分よりも大切な存在が次々に目の前に現れ、その人たちの目線で物事を考える様になっていった。それはそれで楽しかった。みんなが嬉しそうにしていたら、私も嬉しいし、そのために何をしたら良いかを考えるのが楽しかった。

 子どもが成長して大人になり、夫と二人の生活が見えてきた。今丁度再び私の目線を「自分自身」に戻す必要があるのではないか。そう考えた。

 夫にモゴモゴと女子旅なのできっと夫や息子は楽しくないよ…等々説明をした。夫は特に違和感はなさそうだったけれど、私としては結構勇気の要る説明だった。お金は500円玉を何枚貯めると10万円…みたいな貯金箱を数年がかりで一つと半貯めているから、それを使おう。格安のフェリー旅、そしてairbnbで素敵なロケーションの格安物件を借りることにして、旅の準備完了。

ただいま、私。

 旅の途中も家族LINEに美味しいものを食べたら写真を送ったりして、夫の方も自分で料理した夕食の様子を、そして別の場所で旅をしている息子も旅の写真をそれぞれシェア。

 なーんだ。気が抜けた。私がいなくったって家族は回る。それぞれちゃんと自分の足で立って生活してる。いつの間にか背負っていた「みんなのためにいるお母さん」「あなたのための妻」という重荷はいつの間にか私からずり落ちていて、家族も既にそれを知っていた。帰ってきて夫にこの旅にかけた自分の思いの話をすると夫は「そんな意味があったんやね〜」と、のほほんと答える。

 家族は私が一人もがき始める随分前から、私をちゃんと一人の人間として見ていてくれたんだ、ということに改めて気付く。そしてそれと同時に気づいたことは、私を縛っていたのは私自身だったということ。育ってきた時代を考えるとどうしても女性の生き方の見本みたいなものはあって、それに対するジャッジみたいなものは日々耳にしてきた。それが蓄積していたのだとは思うけれど。私は私だったのに、自分で「妻」「母」という役割を背負い込んで「自分自身」をどんどん隅に追いやり、その荷を自分で重くしていったのだった。

 なーんだ。でもでも、人生折り返しでそれに気づくとは、我ながら上等。
今までも今までで楽しかった。若さもあったし背負い込んできた役割のおかげで見つけた面白いこともたくさんある。自分だけじゃなくて人の目線で物事をみるのも楽しかった。
 タイミングとしては今、自分の思い込みから自分を奪還したことはとても好ましい。

 さて。何しようか、私。次はどこに行こう。

 おかえり、私。
 ただいま、私。


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